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濱口竜介という名前を考えると、まずある友人のことを頭に浮かぶ。よく煙草を吸う彼は、近ごろは3・4か月に1度ほどだろうか、居酒屋やカフェバー的なお店で定期的にわりと長時間飲むような友人だ。

2年ほど前だろうか、彼はある映画を見たと言う。よほどに気に入ったようで、居酒屋で席に着いた途端に映画について語り出すだろう。あのシーンでこの2人はこのように座っていて、ここでカメラが切り返されるんだよ、そしたら真正面から役者を捉えてさ、などと映画を観てもいない僕にとっては全く理解できない話を延々と続けてくる。正直はいはいとしか言いようはないのだが、それでもここまで嬉しそうに1本の映画を語る彼はあまり見たことがなかった(ウディ・アレンの『アニー・ホール』についてくらいか)ので、なんだか僕も嬉しくなったことを覚えている。彼はその後もほとんど毎回のように同じ映画の話を繰り返すのだ。

その映画こそが濱口竜介の『親密さ』だった。

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そしていま僕は当時の彼と同じ心境にいるだろう。シンガポール国際映画祭で彼の新作『ハッピーアワー』を観終わってから、友人やら知り合いやらにこぞってLINEやSNSを使い『ハッピーアワー』の凄さについて語り続けている。たとえそれが相互理解が全く得られない一方的なものだったとしても、濱口映画は観た後に語りたくなる衝動に駆られるのだ。
だから、この場でも少しだけ僕の記憶を辿りながら映画について語ってみよう。

当日、僕は体調は万全とは程遠かった。数日前から咳が止まらず、睡眠もとれないほどに苦しんでいた。その上、会場までの道は混雑し、到着は上映開始の5分前、晩飯も抜きで19時~1時の上映に挑むことになった。
ただでさえ近年は2時間映画でもしんどくて、90分を超えたあたりで、あと何分くらいかなと思うことも増えてきていた。正直5時間17分を耐えられるとは思っていなかった(知らなかった人のために、そう、この映画は5時間17分もある!)

映画が始まりしばらくたつと、とそんな心配をしていた自分がおろかしく思えてくる。「重心」と名づけられたワークショップのシーンの途中からだろうか、これまで映画を見ているときに感じたことのない感覚を覚えていることに気付く。まるでスクリーンと自分の間にカメラがなくなっていくような感覚。目の前の人は役者であるが役者でなく、自分の思ったままに反応し、驚き、感想を言っているのではないかという錯覚。と思ったら突如、ある女性の言葉で空気は一瞬で変わり、劇映画は劇映画に戻っていく。わっと声をあげて驚く。

そこから僕はもうすっかり映画の虜だ。ただ前のめりに、初めて映画を見たときのように、画面に見入ってしまう。1時間半に1度はさまれる休憩のたびにこの時間に終わりが近づいていることが悲しくてしょうがなかった。いつまでだってこの幸せな時間が続いてほしかった。

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日本の社会問題という大きなテーマの中で必死にもがく人と、彼/彼女を望まれているかどうかは別とし関わろうとする周囲。
認識、認知。人は自分の近しい人のことをどこまで理解できるのか、成り替われるのか。夫婦であれば、親子であれば、職場の同僚であれば、同じ性同士の長い友情があれば可能性を信じて踏み込んでも良いのか、自分の思いは伝えない方が良いのか、それとも最初から理解すること/されることを諦めるべきなのか。

その中で必死にもがくみんなの顔がとにかくいい。
ワークショップのあとの飲み会でウカイさんの眉毛を釣り上げる仕草が大好きだ。ノセさんが自分の意見を言うときの顔が好きだし、それを聞いて、つい楽しくなってくるジュンの旦那の表情がもっと好きだ。桜子が中学生で彼女を妊娠させた息子をビンタする時の表情が好きだし、説教するときの旦那も、自転車で母親の隣を歩く息子も好きだ。

なんて、挙げていこうとするときりがなかったので、これ以降は個別の場で語ることにしようと思う。
望むならば、この映画について双方向に話を出来る人がひとりでも多い方が良い。日本での公開はこれから、少しでも多くの人に見てもらえればと思うのだ。

ハッピーアワー公式サイトはこちら
2015年12月より日本順次公開

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