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シンガポールでもついに「ポケモンGO」が始まったという話をFBお友達の方のフィードで知った。
日本に帰ったときに、リクルートの大好きな方々と夜飲んでそれはそれは最高の夜だったのだけれど、みんなポケモンGOやっていて、いい年した大人がそれはどうなのよ、苦笑という反応をしていたのだけれど、まあ、それでも触りもせずに否定意見ばかりを述べるような若き老害のような態度は辞めておきましょう、と私は携帯にそれを入れておいた。

ラオス旅からのマレーシアの出張を終えて、約1週間ぶりに金夜シンガポールに帰ってくる。すると空港で誰の携帯もポケモンの画面になっていて、ひゃあ!シンガポールの経済発展も終わりだ!と驚いたものだ。

今調べてみると、ポケモンGO提供会社のNianticは任天堂やらフジテレビやら日本資本の会社がいっぱい入っているようなので、世界経済を悪化させた上に、日本にお金が流れるという仕組みはあれだね、なかなか好都合だし、歓迎すべきことだねと私の中の愛国心君が顔を出した。さあもっとポケモンにおぼれればいいさ!

ドがつくほどポケモン世代ど真ん中の私はといえば、小学4,5年生のころなんかポケモンやってた記憶かたまごっちやってた記憶か秘密基地作って記憶しかないのだけれど、どうもポケモンGOはそこまで面白さがわからなそうであったので、安心を隠せない。私にはやられなければならない使命があるのだ!

ただ、少し想像はしていたのだけれど、我が家の広大な敷地内には、ポケストップが5つもあったので、ポケモンマスターになるには最適な環境であるだろうし、これは知る人が知れば恨まれるぞと夜道に気を付けようと決意をした。(なお私の部屋からはそれらのポケストップにはアクセス不可能なので、ご安心ください。)

さて、ポケモンの話はこのくらいにして、Kindle Unlimitedさまさまで、金夜は夜更かししたため、土曜日に起きると10時頃となっており、さらに続きを、とばかりにKindle Unlimitedが再開され、気づくと12時を迎えていた。

お腹が空いてきて冷蔵庫を除くと、1週間ぶりのおうちだったので、酒類と危うい人参しかなく、これはこれはと出かける準備を始めた。

バスの中でも周囲がPokemon教に取りつかれている姿を横目に、ラオス旅で読み終わらなかったディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』を読みながら大層面白いなあと思いながら、しかし絶対一回読んだことある気がする、という疑心暗鬼にかられる。しかしまったく結末が思い出せないので、ああ面白いわと読み続ける。

私は中学生のときの卒業アルバムに、一番好きな作家の欄に「フィリップ・K・ディック」と書く残念な青春を送ったため、彼の書籍を古本屋で見つけるたびに購入し、その結果30冊ほど持っており、正直どれを読んで読んでないかが全くわからなくなっているのだ。

さて、オーチャードについたので両替などを済ませ、いつもの週末同様ラッキープラザのラッキーチキンでチキンライスを食べ、いつもの週末同様映画館へ向かい『Nerve』を見ようとする。チケットカウンターに向かうと、なんと『シング・ストリート』がやっているという。

『シング・ストリート』は私が日本出張をしていた間に唯一映画館でどうしても見たい、と土曜夜にチネチッタに向かった映画で、現在の私の心のベスト10第1位である『はじまりのうた』のジョン・カーニーさんの新作なのだけれど、もうとんでもなく良かったので、もう1度見たい!と思っていて、シンガポールの映画サイトで調べたらもう上映終了となっていて残念だなあと思っていたところだったので、なんと!と狂喜した。

そのため同劇場で15時からの『Nerve』と19時15分からの『シング・ストリート』のチケットを購入し、大変ワクワクした。
『Nerve』は現代的な映像で想像よりずっと面白く、ただソーシャルゲーム怖い!と思わされ、ポケモンGOをもうアンストールしよう決意させてもらえたので、私の人生にとって、とても有意義な映画になっただろう。「有意義な映画」なんてこれまで見た数千本?の映画の中でも1本も思い当たらないので、人生で1番価値があったかもしれない。あ、言い過ぎだ。

Nerve

さて『シング・ストリート』なのだけど、友人と見る前にやるんだって!とその話をした際に、彼はジョン・カーニーの前作の『Once ダブリンの街角で』は本当にダメだったよね、そのため『はじまりのうた』はまぐれの一本で、『シング・ストリート』も疑っているよという態度を表明していた。

実際、私も『Once ダブリンの街角で』はあの最低な演出をされた映画を評価する人の気持ちがわからないという同様の意見を持っているのだけれど、まぐれでは『はじまりのうた』のような映画は撮れない、実力のはずだという態度を表明しており、しかし『シング・ストリート』の予告編は全然良くなかったので不安感はあったものだ。そういうことなので、『シング・ストリート』はとても良かったので、本当に二重の意味でも安心をした。

sing street

『はじまりのうた』を愛した人であればだれでも、その愛おしいいくつかのシーンを想起するだろう。
それは初めての路上MV撮影であり、夜の街の2人乗りの自転車であったり、あるいは部屋で2人で新曲「UP」を作っていたかと思ったらメンバーが突然あらわれるあの素晴らしい長回しもそうだろう。極めつけは、ジョン・カーニーの得意技、夢を見させる幻想マジック、理想と現実の乖離をバッキバキの演出で描く「Drive it like you stole it」のMV撮影シーン。もうやっぱりあそこ号泣ポイントで予想通り号泣。

何かやりたかったけどやれていなかったことを始めようと強く決意させ、行動させるのに十分な力を持っている映画だ。
ありがたいことに、ここ3,4年はもう自分のやりたいことをほとんどやりたいようにやらせてもらっているので、私はこの映画に触発されて突如世界一周航空券を購入したりはしないのだが、特に毎日悶々と鬱屈していた高校生のときとかだったら、やばかった。少なくともバンドは始めていた。

県下トップの高校に入り、周りのやつは頭はいいけど真面目で物足りなく、スピルバーグが監督で、ディック原作の『マイノリティ・リポート』が映画館でやるってのに、誰も映画館に行かないような高校だった。好きなバンドはゆずとミスチルと答える人ばかりだった。
唯一心を許せる親友ばかりと毎日つるみ、毎晩のようにレンタル屋へ通い周りは誰も知らない映画や音楽を漁り、俺らは他の奴らとは違うんだと言い聞かせた毎日。
そうだな、きっとバンドを始めたくても、『シング・ストリート』とは違い、きっとメンバーを見つけられなかったかもしれない。

大学入って以降は今にいたるまで、不思議なくらい、僕なんかよりずっとぶっ飛んだ人たちと出会えて、彼ら彼女らのおかげで素晴らしい人生を送れているので、余裕を持ってこの映画も見れるのだけれども、「This is your life you can go anywhere」と言ったと思えば、「今行かないと一生お前はどこへも行けないぞ」と煽るアダム・レヴィーンの「Go Now」も見る人が見れば、とても残酷にもなりうる映画なのかもしれない。

でもいまの私はこの映画を好きで好きで仕方ないし、ああそのまま年始より更新を怠っていたこちらのブログを更新しようと思わされる。でもやっぱりバンドやっていなかったことだけは後悔!

では最後に「Drive it like you stole it」でお別れ!

「はじまりのうた」についてはこちら

シング・ストリート 未来へのうた

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