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ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』見た。

なんかのDVDの予告編ですげー面白そうだな、と思ってたら、『映画時評2009-2011』でも大絶賛で、なんとこのタイミングでイメージフォーラムで再上映ということなので、駆けつけた。ほぼ満席。

たとえば、冒頭のホテルから、ある言葉をきっかけに切り替わるシーン。カメラは固定され、ただその目の前のT字路を映し続ける。冒頭のシーンを知っている僕たちは、右側のホテルの入り口から、長髪の彼が出てくることを知っている。予想通り、その景色に同化したような薄茶色の服に身を包み、際立つ赤いバッグを背後に携えた、彼が飛び出してくる。

彼がT字路を左に曲がり、見切れる。普通の映画であれば(『シルビアのいる街で』を見た後、それが一瞬の過ちであることは知りつつも、近年見た他の映画はどれも、ただの普通の映画でしかなかった、とすら思えてしまう)、カメラは赤いバッグの彼を追うだろう。しかし、カメラはその場を離れず、そのT字路で起こる人生模様を映し続ける。その想定外の演出に、いまだ始まったばかりのこの映画において、なにか尋常ではないことが起こるだろうと気づく。

2夜目。演劇学校の横のカフェで、シルヴィーらしき女性を発見する彼は、前夜に続き、ビールをぶちまけ彼女を追うだろう。そこからの追跡劇は、まさしく、活劇以外のなにものでもない。シルヴィーを追う彼という構図に、いつしかカメラは切り返し、シルヴィーらしき女性を正面に捉え、彼がその背後に映るそんなシーンを想像すし、そして見事にそのシーンを撮るホセ・ルイス・ゲリンの演出に圧倒的な信頼を寄せる。彼は「シルヴィー」と大きな声をあげて彼女を呼ぶ。まさに活劇とはこういうものだ、という監督の野心がにじみ出る素晴らしいシーンだ。

そして、『ミツバチのささやき』のアナ・トレントが大人になった時、きっとこのような女性になるだろう、と誰もが想像したその幻想を叶えるために現れたかのような、みずみずしく美しい女性、ピラール・ロペス・デ・アジャラ。この映画で最も美しい路面電車のシーン。彼女が路面電車で交わす言葉、仕草に誰もが圧倒される。このシーンにいつかは終わりが来ることを知っている(そして彼女と彼の会話から、もうこの映画に、彼女が再度映し出されることはないだろうと誰もが察する)僕たちは、息をする間すら惜しみ、スクリーンを見続けるだろう。

断言しよう。『シルビアのいる街で』は極上の映画体験というものは何かを教えてくれる、信じれないほどに美しい映画だ。

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