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9月15日、渋谷。なんという日、そして場所なのか。

それ一本でも、現在に生まれ出ること、それ自体が奇跡のような圧倒的に凄まじい傑作が、しかも二本も同時にこの日、この場所にて公開されたのである。

 

そのうちのひとつは、ヴァレリー・ドンゼッリという決して有名ではない女優が撮った、撮ってしまった映画である。近年、ほとんど死にかけていた「フランス映画」が、いま、ここに復活した、と高らかに宣言したい。

 

そう、今日、渋谷Bunkamuraにて公開されてしまった、『わたしたちの宣戦布告』という映画は、この2012年現在に、生まれ変わってトリュフォーが再びあらわれ、映画を撮ってしまったといっても大げさではない、ヌーヴェルヴァーグ愛に満ちた凄まじいまでの傑作である。まるで、ブレッソンのような赤と青の対照的な色彩、ゴダールのようなカッティング、ドゥミのようなテンポとミュージカル性。僕たちが愛してやまなかったヌーヴェルヴァーグ映画群にまたひとつ奇跡のような映画が生まれた。気づいた時には、ジェレミー・エルカイムは、ジャン・ピエール=レオーにしか見えなくなる。

 

 

全編にわたって、一瞬も隙を与えぬ映画ではあるが、特にロミオとジュリエットの息子アダムが検査に向かうからの10分間は圧巻だ。ヴィヴァルディの『四季』「冬」の悲劇的な曲とともに、イメージの連鎖ですべてを語り尽くす映画的手法に息を飲む。

檻に閉じ込められたアダムが検査に向かう姿は、その泣き叫ぶ様は、ほとんど極刑を宣告され、刑務所に向かう囚人のそれにしか見えない。その姿を見れば、医師の口から、はっきりとそう告げられるまでも無く、アダムはわずか1才数カ月にして、死刑宣告を受けるだろうと気づく。

言葉の理解できる齢ではない彼の代わりに、死刑宣告は、その母親のジュリエットが受けるだろう。そして死刑宣告は伝染する。母親が病院を滑走する姿は勿論だが、なによりロミオが宣告を受けるシーンが素晴らしい。父親より先に、宣告を知っている僕たちは、階段を一段ずつ楽しげに昇るロミオの姿を、死刑執行の首吊りに向かう最後の階段を昇る姿に重ね合わせ、昇りきったところで死を迎えることを、誰もが予感する。当然、階段を昇りきった瞬間に、携帯電話を鳴らすだろう。彼はその場で、首を吊られたように座り込む。

 

そして物語はカタルシスに満ちたラストシーンに向かい疾走する。手術前夜の笑い。手術が成功し、しかし、その腫瘍が悪性だったことを知ったあとのふたりの振る舞い。「強くなろう」という言葉。パーティーの後の涙。名前を呼ぶだけで、「私もよ」と答えるシーンの充実した時間。

 

2012年現在東京に住む我々は、何をおいても、「トリュフォーの再来」が生み出したこの奇跡を一目見るために、すぐに渋谷に駆けつけなければならない。

 

『わたしたちの宣戦布告』 渋谷Bunkamuraにて公開中。

http://www.uplink.co.jp/sensenfukoku/

 

ちなみに音楽も素晴らしくてサントラすぐにアマゾンで購入した。

“『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ)” への2件のフィードバック

  1. akttkc より:

    "この2012年現在に、生まれ変わってトリュフォーが再びあらわれ、映画を撮ってしまったといっても大げさではない、ヌーヴェルヴァーグ愛に満ちた凄まじいまでの傑作である。"

  2. […] ・『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ) | For Man and a Prayer […]

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