田中大地のwebサイト

アッバス・キアロスタミの最新作が東京で撮られた、その「奇跡」が起きただけで、現代日本に生きる僕たちは、足を運ばないことは恥ずべき行為である。そして、ある種義務的に足を運ぶ僕たちは、しかし後悔はしない、ということも保証したい。『ライク・サムワン・イン・ラブ』は映画でここまでの「恐怖」を覚えたのはいつ以来だろうか、と言わせるだけの力を持ったこれまた凄まじい傑作である。

別段オバケが出るわけでもないこの映画が、しかしどんなホラー映画よりも、恐怖映画たりえているのは、やはり「人間関係」こそが何よりも恐怖の対象となりうるからだろう。

優しかったおばあちゃんを「無視」することで携帯電話から聞こえる呪いのような音声(おばあちゃんは存在することから疑わしいのである種オバケ的でもあるが)。奥野匡が運転席、加瀬亮が助手席、そして高梨臨が後部座席に座る、嘘と歪んだ「人間関係」に満ちた密室の車内。真実を知っているもと教え子の存在。奥野匡をかつて愛した隣人。そしてあのラストシーン。

 

いやー、もう9.15、今日は何なのだろうね。

この前に見た『わたしたちの宣戦布告』で打ちのめされ、Bunkamuraからユーロスペースへの坂を昇るだけでも過酷な修行のようで、果たしてこのような凄まじい映画を見た後では、いくらキアロスタミでもかすんでしまうのでは…、なんて心配をよそに、『ライク・サムワン・イン・ラブ』もこれまたおっかない傑作で、9月15日に、この2本が公開されてしまった渋谷に何が起こっているのか、と。

「衝撃的」という前評判を聞いていたラストシーンはもう死ぬかと思った(笑)。恐怖映画『ライク・サムワン・イン・ラブ』見終わった後に駅まで向かう渋谷に、いつもの親近感は湧かず、どこか初めて来た見知らぬ街のようで恐怖すら感じた。

 

ちなみに今朝の記事で紹介している( http://daichitanaka.com/archives/301/ )素晴らしい予告編は、アッバス・キアロスタミ作らしい(笑)どうりで凡庸で語りすぎな他の予告編とは比べ物にならないわけだ。

それに関する加瀬亮が記すエピソードが秀逸だったので、最後に紹介しておく。

「ピリピリした緊迫ムードの中、現れた巨匠は本作の予告編を携えていたという。「それがあまりにも素敵で、皆でシーンとなりました(笑)。いったい自分たちは何を作っていたのか? って、目を合わせたほど完成度が高かった。」

http://cinema.pia.co.jp/news/160078/48104/

 

 

コメントを残す