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たとえば、主人公が、別れを経てから20年近くも経つだろう元彼の思い出に寄り添うための支え、すなわち「バンドをやっていた彼が当時、彼女を思って作った、そして彼女に聴かせた思い出の曲」を、彼女の前で、いまの彼の妻に演奏させてみせるライブシーンの残酷さ。そして、「彼は私と戻りたくて仕方ないんだ」と勘違いを続けて暴走する主人公の、パーティーシーンにおける仕打ち。キスまでしたはずの彼が、彼女に放つ言葉。

『ヤング≒アダルト』を見て感じた、ジェイソン・ライトマンの残酷さと、どうしたって感じてしまう魅力は一体、何なのだろうか。それを探りたくて、『JUNO』『サンキュー・スモーキング』と続けて見返すことになった。(1人の映画監督の過去作品を続けざまに見る、こんなこといつ以来だろうか!)

 

こちらも大傑作と噂の『マイレージ・マイライフ』をまだ見ていないので、そう結論付けることは誤っているかもしれないが、彼の残酷さはどうやら徐々に増しているようだ。

男が単に巨乳でめちゃかわいい(これがケイティ・ホームズか・・・はじめて出演作を見たけど好きすぎる顔。)悪女に騙されて人生崩壊するだけの話である、長編デビュー作『サンキュー・スモーキング』はまだ、ジェイソン・ライトマンの悪意は感じない。たとえ騙されても、彼はひとりで立ち直るし、ケイティ・ホームズを結局、打ち負かしてみせたりもする。あくまでアメリカ映画伝統の「盛り上がって・落ちて・盛り上がる」の「落ち」にあたるティピカルストーリーの枠に収まっている映画に過ぎない。

しかし『JUNO』はなかなかに甘くない。若くして妊娠した主人公のジュノ(エレン・ペイジ!)は、音楽や映画の趣味の合う将来の養父の家に通うだろう。ジュノからすれば、仲の良い理想的な夫婦だった。この夫婦に子供をもらってもらえることがとても安心だった。ジュノの決して高望みではない、ほとんど唯一の希望はしかし突然に壊される、養父の見るに堪えない心移りによって。将来の養父の「だから通ってきているんじゃないのか」の言葉を吐くときのジェイソン・ライトマンの描く狂気は、悪寒すら覚えるだろう。また、将来の子供の母親であるヴァネッサが、JUNOのお腹を触るシーンなんて、『ヤング≒アダルト』から遡って見た僕なんかは、「ああ、母親が触っても一切子供は反応しない(というより、彼がさせない)のではないか」とおびえることにもなるだろう。

 

こんなにも悪意がにじむジェイソン・ライトマンの映画は、しかし、明るい。

決して、ダーレン・アロノフスキーやラース・フォン・トリアーのように、(たとえば『ブラック・スワン』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラスト、)主人公は狂気にひきずられて、戻ってこられなくなるわけではない。彼の映画では、これでもかと不幸な境遇に毎度陥れられる主人公は、しかし絶対に立ち直る。

彼の映画にはほとんど必ず、失意に満ちた主人公がひとり、車に乗り込み、長く続く道を進む、ロングショットがある。まるで、失意のどん底にいる彼ら・彼女らが残酷さと言う試練に飲みこまれないための、儀式のようだ。全体の時間からすれば短いが、しかしとても印象的なそのロングショットは、主人公が「それでも私は生きていくんだ」、という決意をしているかのようだ。

彼の映画は明るい。だからこそ僕は、ジェイソン・ライトマンの映画に魅力を感じてやまないのだろう。

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