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試写会にて、一足先にベン・アフレック新作『アルゴ』を見た。

既にベン・アフレックの恐るべきデビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』や長編第二作『ザ・タウン』を見てしまった僕たちであれば、ベン・アフレックがいまや現代アメリカ映画を代表する映画監督だと十分にわかっているだろうし、彼の新作がいわゆる傑作だったとはいえ、「さすがベン。俺の認めた男だぜ。彼ならこれぐらい撮ってくれると思ってた。」などと言って、終わりに出来たかもしれない。

しかし、彼の新作『アルゴ』は、ベン・アフレックが僕らの想像の範疇を既に超え、「ベン、君こそ世界最強の映画監督だよ。イーストウッドを超えてしまったよ」と言ってしまいたくなるほどの誘惑にかられる、信じられないほどの大傑作だ。いま、誰かが僕に「今年最高に良かった映画を3つあげて」なんて質問をぶつけてこようものなら、大興奮のうちに、「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」と答えてしまうだろう。

『アルゴ』が他のアメリカ映画と比べ抜きんでているのは、この映画が『國民の創世』以来、何万本も撮られただろう「ラスト・ミニッツ・レスキュー」の最高峰でありながら、同時に単なる「最後の瞬間の救出」映画に終わらない点だ。

この映画は、「ヒロインが殺されそう」になったときに突如クモにかまれた故にスーパーパワーを得たヒーローが現れ彼女を守ったりもしないし、「銃を突きつけられ、もう絶望だ、助かる道はない」と思ったときに、資金を持つが故テクノロジーの最先端を駆使し愛する街を守ろうとするヒーローが登場して皆を救うこともない。あるいは、暴走列車を止めるために、長年の知識と技術を持った男が、まさに英雄と呼ぶにふさわしい勇敢さを見せるわけでもない。
これまでの「ラスト・ミニッツ・レスキュー」を演出した者たちを「ヒーロー」と呼ぶのであれば、ベン・アフレック演ずるこの物語の無口な主人公は、決してヒーローとは呼ぶべきではないだろう。スーパーパワーを持つわけでもないし、テクノロジーを駆使するわけでもない、何か飛び抜けたものを持っているかと聞かれても答えに窮するだろう。

もっと言うなれば、ベン・アフレックは映画の中で何をするわけでもない。映画を観る前から誰もがその結末を予感している通り、当然、最後にイランから無事脱出に成功するわけだが、しかし、ベン・アフレックは直接的にそれに貢献は何もしていない。正確には「ニセSF映画の撮影をしてるふりをしよう」と思いつき、提案したのは彼だが、それ以外の目立った功績はない。活躍するのは、6人のメンバーひとりひとりだし、むしろ、最初は「ニセ映画の撮影なんて俺は絶対ノラないぞ」と言っていた眼鏡の男が、最後には交渉術で敵を丸めこみ、一番活躍を見せるくらいだ。(イラン語のわからないベン・アフレックはそのときただ黙っているのみだ)

活躍をしないわけだから、当然、彼は目立たない。ニセ映画のスタッフとしても「制作補」?という微妙な位置づけだ。結果、対外的には6人の外交官を救出した功績はカナダにすべて持っていかれ、CIAにおける最高の名誉であるスター勲章を与えられたベン・アフレックは、しかし自分の子供にもそのことを告げることは許されない。それどころか、一度与えられた勲章すら、すぐに取り上げられることにもなってしまうだろう。決して彼は、目立つヒーローになることは許されない。

しかし、だからこそ、この映画は単なる「ラスト・ミニッツ・レスキュー」に収まらない。すなわち、ヒーローがその圧倒的な力で敵をなぎ倒す物語「ではなく」、ある人物に出会った者たちが、こいつを信じて、こいつのために頑張ろうと思い、皆で難関を解決する、そんな「リーダーシップ」の物語なのである。彼のために、みな架空の設定を一生懸命覚え、練習する。ニセ映画なんて絶対に参加しない、と言っていた男が、変化する。彼のために、国務長官、CIA長官、果ては大統領でさえ動くであろう。

我々は、この映画におけるベン・アフレックの姿を見て、もはや当の昔に忘れていた「リーダーシップ」という言葉を一体いつぶりか思い出す。アメリカも日本も、政治や企業、どこを見回してもリーダーシップなんてなくなってしまった、そんな時代を救おうとする、「ラスト・ミニッツ・レスキュー」なのである。

『アルゴ』(ベン・アフレック)は2012年10月26日より全国ロードショー。

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