『ラブ・アゲイン』。人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックスだ。

いまさら言うまでもない、な話ではあるが、最後に、もう1度だけ言っておこう。

人類が生まれて数千年、全く変わらない、そう、「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックスだ」。ザッツオール。それがすべて。そこには文学も、ロックンロールも、当然映画なんてものも必要ない。それが本当に全てなのだ。(こう言うと凄い反感を受けるかもしれない。だが言っておこう。いまピクっと神経を動かし、それは違うだろ、と思った人、すべからく敗者である。負け犬である。そう、僕も含めて。)

兎に角、『CLAZY STUPID LOVE』というイケイケな原題を持つ『ラブ・アゲイン』という映画がサイッコー(ダブルEでカッコE!という言葉を思い出すね)なのは、この映画において、ザ・スミスも、フィッツジェラルドも、ジャック・ケルアックも、タランティーノも、あるいはイーストウッドも登場しないからだ。そうバラ色の人生において、固有名詞なんて不必要。「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックス」、この信念のもと突き抜けまくったものこそ勝者なのである。

恋と愛、そしてS・E・X(それで隠語にしているつもり!という奥さんのツッコミがこれまた最高)。120分の間、それだけを描き、他に一切ぶれない、ある意味徹底的にラブストーリー。突き抜けているからこそ、ああ、一体「電話」を使ったシーンでここまで美しかったシーンがこの映画史100年において見たことあるだろうか、と叫ばざるにいられない元妻と元夫の一枚の窓越しの会話に僕らは感極まってしまうわけだし、2つの恋と2つの愛が見事に絡まりあうシチュエーションが実現する、庭でのはちゃめちゃ家族パーティが成立してしまうのだ。(キング・オブ・コメディとはこういうものだったのか!映画史なんて知らなくても脚本さえ面白ければいいじゃん!とムカつく笑みを見せる監督の顔が思い浮かぶようだ。ファック!)

悔しいーけど極上エンターテイメント、すなわち映画。あああもう今すぐもう一回見たい!その理由のひとつとして、アメリカ産市川美和子、アナリー・ティンプトンに一目ぼれしてしまったこと、というのは今さら隠す必要もないだろう。

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「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」ベン・アフレックの最新作は思わずそう叫びたくなる魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試写会にて、一足先にベン・アフレック新作『アルゴ』を見た。

既にベン・アフレックの恐るべきデビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』や長編第二作『ザ・タウン』を見てしまった僕たちであれば、ベン・アフレックがいまや現代アメリカ映画を代表する映画監督だと十分にわかっているだろうし、彼の新作がいわゆる傑作だったとはいえ、「さすがベン。俺の認めた男だぜ。彼ならこれぐらい撮ってくれると思ってた。」などと言って、終わりに出来たかもしれない。

しかし、彼の新作『アルゴ』は、ベン・アフレックが僕らの想像の範疇を既に超え、「ベン、君こそ世界最強の映画監督だよ。イーストウッドを超えてしまったよ」と言ってしまいたくなるほどの誘惑にかられる、信じられないほどの大傑作だ。いま、誰かが僕に「今年最高に良かった映画を3つあげて」なんて質問をぶつけてこようものなら、大興奮のうちに、「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」と答えてしまうだろう。

『アルゴ』が他のアメリカ映画と比べ抜きんでているのは、この映画が『國民の創世』以来、何万本も撮られただろう「ラスト・ミニッツ・レスキュー」の最高峰でありながら、同時に単なる「最後の瞬間の救出」映画に終わらない点だ。

この映画は、「ヒロインが殺されそう」になったときに突如クモにかまれた故にスーパーパワーを得たヒーローが現れ彼女を守ったりもしないし、「銃を突きつけられ、もう絶望だ、助かる道はない」と思ったときに、資金を持つが故テクノロジーの最先端を駆使し愛する街を守ろうとするヒーローが登場して皆を救うこともない。あるいは、暴走列車を止めるために、長年の知識と技術を持った男が、まさに英雄と呼ぶにふさわしい勇敢さを見せるわけでもない。
これまでの「ラスト・ミニッツ・レスキュー」を演出した者たちを「ヒーロー」と呼ぶのであれば、ベン・アフレック演ずるこの物語の無口な主人公は、決してヒーローとは呼ぶべきではないだろう。スーパーパワーを持つわけでもないし、テクノロジーを駆使するわけでもない、何か飛び抜けたものを持っているかと聞かれても答えに窮するだろう。

もっと言うなれば、ベン・アフレックは映画の中で何をするわけでもない。映画を観る前から誰もがその結末を予感している通り、当然、最後にイランから無事脱出に成功するわけだが、しかし、ベン・アフレックは直接的にそれに貢献は何もしていない。正確には「ニセSF映画の撮影をしてるふりをしよう」と思いつき、提案したのは彼だが、それ以外の目立った功績はない。活躍するのは、6人のメンバーひとりひとりだし、むしろ、最初は「ニセ映画の撮影なんて俺は絶対ノラないぞ」と言っていた眼鏡の男が、最後には交渉術で敵を丸めこみ、一番活躍を見せるくらいだ。(イラン語のわからないベン・アフレックはそのときただ黙っているのみだ)

活躍をしないわけだから、当然、彼は目立たない。ニセ映画のスタッフとしても「制作補」?という微妙な位置づけだ。結果、対外的には6人の外交官を救出した功績はカナダにすべて持っていかれ、CIAにおける最高の名誉であるスター勲章を与えられたベン・アフレックは、しかし自分の子供にもそのことを告げることは許されない。それどころか、一度与えられた勲章すら、すぐに取り上げられることにもなってしまうだろう。決して彼は、目立つヒーローになることは許されない。

しかし、だからこそ、この映画は単なる「ラスト・ミニッツ・レスキュー」に収まらない。すなわち、ヒーローがその圧倒的な力で敵をなぎ倒す物語「ではなく」、ある人物に出会った者たちが、こいつを信じて、こいつのために頑張ろうと思い、皆で難関を解決する、そんな「リーダーシップ」の物語なのである。彼のために、みな架空の設定を一生懸命覚え、練習する。ニセ映画なんて絶対に参加しない、と言っていた男が、変化する。彼のために、国務長官、CIA長官、果ては大統領でさえ動くであろう。

我々は、この映画におけるベン・アフレックの姿を見て、もはや当の昔に忘れていた「リーダーシップ」という言葉を一体いつぶりか思い出す。アメリカも日本も、政治や企業、どこを見回してもリーダーシップなんてなくなってしまった、そんな時代を救おうとする、「ラスト・ミニッツ・レスキュー」なのである。

『アルゴ』(ベン・アフレック)は2012年10月26日より全国ロードショー。

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『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(ベン・アフレック)

ジェイソン・ライトマンの残酷さと、明るさ(『ヤング≒アダルト』『JUNO』『サンキュー・スモーキング』)

たとえば、主人公が、別れを経てから20年近くも経つだろう元彼の思い出に寄り添うための支え、すなわち「バンドをやっていた彼が当時、彼女を思って作った、そして彼女に聴かせた思い出の曲」を、彼女の前で、いまの彼の妻に演奏させてみせるライブシーンの残酷さ。そして、「彼は私と戻りたくて仕方ないんだ」と勘違いを続けて暴走する主人公の、パーティーシーンにおける仕打ち。キスまでしたはずの彼が、彼女に放つ言葉。

『ヤング≒アダルト』を見て感じた、ジェイソン・ライトマンの残酷さと、どうしたって感じてしまう魅力は一体、何なのだろうか。それを探りたくて、『JUNO』『サンキュー・スモーキング』と続けて見返すことになった。(1人の映画監督の過去作品を続けざまに見る、こんなこといつ以来だろうか!)

 

こちらも大傑作と噂の『マイレージ・マイライフ』をまだ見ていないので、そう結論付けることは誤っているかもしれないが、彼の残酷さはどうやら徐々に増しているようだ。

男が単に巨乳でめちゃかわいい(これがケイティ・ホームズか・・・はじめて出演作を見たけど好きすぎる顔。)悪女に騙されて人生崩壊するだけの話である、長編デビュー作『サンキュー・スモーキング』はまだ、ジェイソン・ライトマンの悪意は感じない。たとえ騙されても、彼はひとりで立ち直るし、ケイティ・ホームズを結局、打ち負かしてみせたりもする。あくまでアメリカ映画伝統の「盛り上がって・落ちて・盛り上がる」の「落ち」にあたるティピカルストーリーの枠に収まっている映画に過ぎない。

しかし『JUNO』はなかなかに甘くない。若くして妊娠した主人公のジュノ(エレン・ペイジ!)は、音楽や映画の趣味の合う将来の養父の家に通うだろう。ジュノからすれば、仲の良い理想的な夫婦だった。この夫婦に子供をもらってもらえることがとても安心だった。ジュノの決して高望みではない、ほとんど唯一の希望はしかし突然に壊される、養父の見るに堪えない心移りによって。将来の養父の「だから通ってきているんじゃないのか」の言葉を吐くときのジェイソン・ライトマンの描く狂気は、悪寒すら覚えるだろう。また、将来の子供の母親であるヴァネッサが、JUNOのお腹を触るシーンなんて、『ヤング≒アダルト』から遡って見た僕なんかは、「ああ、母親が触っても一切子供は反応しない(というより、彼がさせない)のではないか」とおびえることにもなるだろう。

 

こんなにも悪意がにじむジェイソン・ライトマンの映画は、しかし、明るい。

決して、ダーレン・アロノフスキーやラース・フォン・トリアーのように、(たとえば『ブラック・スワン』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラスト、)主人公は狂気にひきずられて、戻ってこられなくなるわけではない。彼の映画では、これでもかと不幸な境遇に毎度陥れられる主人公は、しかし絶対に立ち直る。

彼の映画にはほとんど必ず、失意に満ちた主人公がひとり、車に乗り込み、長く続く道を進む、ロングショットがある。まるで、失意のどん底にいる彼ら・彼女らが残酷さと言う試練に飲みこまれないための、儀式のようだ。全体の時間からすれば短いが、しかしとても印象的なそのロングショットは、主人公が「それでも私は生きていくんだ」、という決意をしているかのようだ。

彼の映画は明るい。だからこそ僕は、ジェイソン・ライトマンの映画に魅力を感じてやまないのだろう。

『永遠の僕たち』『ヤング≒アダルト』『ローラーガールズ・ダイアリー』『おとなのけんか』..酔いどれ映画日記

タイトルは見た順に並べた。僕に感じたものを文章にする無限の才能と十分な時間があれば、掲題の4つの映画について個別に記事をこしらえるのだろうが、
残念だからどちらもない(特に才能の無さには驚くほどだ!)ので、まるっとぬるっと1つの記事を更新する。
金曜夜、仕事からの帰宅が深夜1時。相方がつくってくれた混ぜご飯と白ワインを飲みながらブログを更新するまさに花金。

というわけで、酔っ払っている中で4つの映画について。好きな順で言うと、
1位『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)
2位『ヤング≒アダルト』(ジョナサン・ライトマン)
3位『おとなのけんか』(ロマン・ポランスキー)
4位『永遠の僕たち』(ガス・ヴァン・サント)

1位、2位は甲乙つけがたし。この2作品を映画館で見ていなかった自分を呪いたいくらい。僅差で3位。
結構離れて4位。世間的評判はいいが残念ながら僕はのれなかった。
酔っ払いながら縦横無尽に語り尽くします!

 

■『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)

「彼女が出ればその映画は間違いなく面白い。」

そんな言葉が映画好きの間で納得感を持って語られるほど、元祖あげまんのドリューだが、出ても最強、撮っても最強ということを本作で証明した。

そんなドリューと、次のドリュー・バリモアを狙え!エレン・ペイジ(言わずもがな超絶傑作『JUNO』の主演!ああもっと映画出て!)が組めば、どう転んだって普通の映画に終わるわけがない。

ただでさえこんな青春ムービーに弱い僕だが、その中でも格別。
たとえば、各チームが集まって、お菓子や食べ物をぶつけ合うシーンの充実度は一体なんなのか。
それがスクリーンの先で行われているにもかかわらず、ああどうして自分がその場にいないのか、と感情を湧きあがらせる。
僕も、私も、「ローラーゲームやりたい!」と見終わった瞬間誰もが思ってしまうだろう、青春ムービーのお手本のような傑作。

支えるはドリュー・バリモアの映画作家としての才能。ローラーゲームのシーンの演出に酔いしれろ。
凡庸な映画監督には撮りえない、あれだけの登場人物がいながら、ひとりひとりがどう動き、どんなアクションが行われているのか、すべてを映像でわからせる演出力にただただ感嘆するばかりだ!ホイップ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『ヤング≒アダルト』(ジョナサン・ライトマン)

エレン・ペイジといえば大傑作『JUNO』、ジュノといえば、ジョナサン・ライトマン。
先日の『Playback』あと飲みで、『ヤング≒アダルト』が今年ベストという声もちらほらあがる作品だが、これも未見。DVDにて。
冒頭からああこれこそ映画だよねというような粋な演出で、ああ、この感動『ロストイン・トランスレーション』以来!とついぞ叫んでしまいたくなる衝動にかられる。

とかく音の使い方が素晴らしい。
序盤、ほとんどサイレント映画と勘違いするような、音の使わなさ!男の名前が書かれたカセットテープが再生されるまでの15分間、音の記憶が一切ないくらいだ。
当然、物語の中盤のライブシーン(ああ、こんなつまらなそうなライブは初めてだ!最高に監督の悪意に満ちている。後のパーティーも反吐が出る!)
このシーンのために、音を異常なまでに使用したがらない演出だったのね!とまたジョナサン・ライトマンに惚れてしまうわけです僕たちは。最高!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『おとなのけんか』(ロマン・ポランスキー)

もと演劇、ということで、そうだよねーというのがありありと伝わってくる。非常にシニカルな笑いに満ちた傑作だと思います。
この狭い空間だけで、ようやりました、とつい言ってあげたくなるようなそんな感じ。
ポランスキーの映画なんてほとんど好きじゃなかったけど、前作の『ゴーストライター』と本作、2本続けて魅せつけてくれる。
しかも全く違うやり方で。

見終わった後は是非この素晴らしい評を。なるほどね、とつぶやかざるをえん文章だ。
http://www.nobodymag.com/journal/archives/2012/0316_2330.php

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『永遠の僕たち』(ガス・ヴァン・サント)
つまらなかった。
思い返せばガス・ヴァン・サントって『エレファント』以外一本も好きな映画なんてないことに気がついた。(『ミルク』は未見)
しかし、好きな映画監督のひとりだ、なんて思わせる力があるのが凄い。こわい。
唯一、よかったのは、主演のミア・ワシコウスカが僕の昔好きだった後輩に似ていることくらいだった。かわいかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■あわせて最近読んだ本。
阿部和重の『クエーサーと13番目の柱』『無情の世界』どちらもとても面白く読んだ。1時間くらいで読み終わった気がする。
そして佐々木敦がかつて出した映画批評集に、感涙にむせびなく日々だ。蓮實と同等、もしくはそれ以上に心を熱くさせる映画批評集がこの世にあったなんて。佐々木敦見直した。それについては酔っ払ってないときにちゃんと書く。

It was a Beautiful day (朝霧jam日記 1日目)

ブログを書いていてよかったなー、と思うときがある。そんなことを思うのは、今晩のように、過去の日々を思い返したくなる夜ばかりだ。果たして自分自身にとっていいことなのかどうかと考えてしまう。一体何故自分自身の過去を思い出すことを、禁欲的であれ、と責められなければ・責めなければならないのか。映画のように、決してPlaybackが叶わないからだろうか。とにかく、僕にとって過去を思い出すことは、甘美な、嵌りすぎると帰ってこれなくなる誘惑なのである。精いっぱい遊ぶことであれだけ忙しかったのに、それでもせっせと長文を残した、自分と時間を共有していた友人たちを誇らしく思う。
言うまでも無く、僕が祝日の夜を、感慨にふけり過ごすのは、この2日間の朝霧ジャムのせいである。

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ほとんど深夜、渋谷。ローソンの前で集合といっただけで、僕は早速にも2007つまり大学4年のフジロックを思い出してしまっている。それは僕にとって原体験である。あのときもA以外は誰も知らない友人たちの車に、道端で待ち合わせをした。確か湘南台だろうか、藤沢だったろうか。とにかくそのあたりに、早朝大荷物を背負って向かったものだ。あれから、何度かのフェスは知らない人ばかりと行くことも、道端で待ち合わせることもなかったように思う。

友人のタカシは遅れると連絡来たので、待ち合わせ場所のローソン前で知らない人たちが朝霧っぽい恰好して誰かを待ってたので、あのタカシの友人ですかと声かけをすれば、いえ違いますと返され、それはすみません、という体で顔を赤らめた。ローソンで飲料など購入し、出ようとしたらメンバーは続々と集まっていて、見知った顔と思ったらタイセイとツヤさんで、彼らは一度タカシ宅のホームパーティーで会ったことがあるので、それはそれはと安心する形となった。そのあと遅れてタカシがきて、ユミさんがきて、もうひとりのユウカさんとやらは全然来ずに、そういえば2007もケイちゃんが全然現れなかったことなど思い出していた。30分ほど待てばユウカさんも来て、さて行きますかという形で出発する。

飲まない・運転できる・車持ってる、まさに運転手の鏡であるタイセイにすべてお任せする形でわりと眠っていたら静岡県まで着いて、スーパーで、マッカランやチェアやブルーシート、翌日の朝食の材料など購入し、朝霧へ再度向かう。昼過ぎにはふもとっぱらに着き、なんていい景色なんだふじさんー!と叫び、早速テントなど立て買い込んだビアーなどで、カンパーイ!とやる。その場の会話でOKI DUB AINU BANDは別にいいよね、との合意がなされ、GOMAちゃんに照準あわせ会場へ。

5月の日比谷宇宙の日ROVO祭りではGOMAはとにかく良かった記憶があり、酒とGOMAにやられた僕は代わりにROVOの記憶は一切ないわけだが、しかし今回はそのときほどではなくて、酒が足りなかったのか、それとも事故を潜り抜けたGOMAが観客への感謝に溢れ、その感謝の意味とかに疑念を持ったからなのか、とにかくその「あなたたちのおかげで、いま生きていけます、ありがとう」の言葉に僕は共感できず、GOMAの熱心な信者ではないことを再確認した。GOMAは動きも言葉もどこか教祖的なところがあるので、そうならないことを祈る。教祖になった音楽やる人ほど僕の好きから程遠い人はいない。それでもめいいっぱい踊った。

そんなだから疲れた体に鞭打って向かったMOONステージの鎮座DOPENESS & DOPING BANDはほんとに最高で、見たのは2年前のFESTA de RAMA以来で、あのときから僕は鎮座のシニカルな笑いと適当だけど確実なラップの虜なのだけど、今回もフリースタイルとか大分かっこよくて、PUNPEEも鎮座もそうだけど、フリースタイルほどライブの魅力がつまった瞬間はないなーと思うし、だからHIP HOPはやめられない、と思った記憶がある。定番の「いってんのかいかされてんのか」「やってんのかやらされてんのか」とか楽しい言葉遊びに、鎮座もだいぶ楽しそうに踊るのだから、つられて僕も満面の笑顔で踊ったものだ。

ジントニックなど各種アルコールにまみれ、レインボーステージに帰ったら、スケボーダーには憧れのトミー・ゲレロがやっていたのだけれど、眠すぎて起きたらWILCO JOHNSONになっていて、ゲレロは完全寝過ごした形になり、残念に思いかけたけれど、よく考えたら、憧れはあれど彼の音楽にはまったことなんて一度もないので、そんなに残念でもなかった。それよりも、前回の経験を踏まえられていないというか、朝霧寒いよね、という記憶はなかったため薄着でいったところ寒くて目覚める形になったことのほうが残念だ。起きたらタカシがうまそうなラーメン食ってたため、僕も購入し、ふつうに店で食ってもうまいよね、とふたりで結論づいた。

ドクター・フィールグッドもウィルコ・ジョンソンも僕の人生にはまったく無関係の存在だったので、しかし周囲の皆はわりと好きなようだったので、社交的で場の雰囲気を壊すことを嫌う僕はトイレに行く振りをしてムーンステージに向かうも、CUT CHEMISTは音楽むかつくぐらいぶちぶち切るタイプのDJで30秒くらいで嫌になる結果に終わり、毛布借りて早々にレインボーに戻る。丁度いい具合に、ウィルコ・ジョンソンも終わっていてタカシと飲料を探しに向かう。ところ天国で、天国行きたいですかー?と「勿論さ」と答えるしかない問いを受けたので、天国ビールというものを初めて飲み、これはマリブ+テキーラ+ビールの組み合わせで酒×酒×酒という一切寄りそう気のない飲み物で、しかしマリブの飲み口やわらかく、アルコール度高いココナツジュースのような形でたいそう美味しく、僕とタカシはこれを朝霧のソウルドリンクにしようと喜んだ。

そうこうしてればリー・ペリー登場の合図らしい井上陽水が流れ、みんなで2012フジロックのことを思い出し大合唱し、リー・ペリー・バンドが出てくる。確実に3人くらいは殺してるよね、あの人と黒人の容姿について無責任な発言、そして談笑を行っていると、齢80近いおじいちゃんが現れ大歓声が起こる。2011フジロック同様、今回で見れるの最後かもよ、という囁きが周囲で広がる。リー・ペリーは自分が見世物になっていることをわかりきった動きをしてくれるので、ほんとにエンターテイナーだなあ、と感動をしてみせる。「ガンジャ・フリーダム!」と叫ぶのとかね。

リー・ペリーに興奮して、天国ビールをさらに飲みたくなり、お替りに向かうと、フェス友達のアサミから連絡来てるので合流し、しらふな彼女のうらやましい私生活の話などを聞いて楽しくなる。鉢巻きの人ミクさんや、ベビーフェイス君などと交えてわいわい話せばリー・ペリーも終わりそれではまた明日ーとお別れをし、タイセイらと合流する。キャンプサイトであるふもとっぱらに戻り、タイセイ自慢のキャンプセットにより焚き木をして、火を囲みながらフジロック恒例のタカシの怖い話。もう何度聞いたかわからないその話を聞くと、なぜだかまたフラッシュバック・メモリーズするのだ。2時間くらい焚き火を囲んで、談笑すれば暖かい毛布にくるまれ、快適に眠るだろう。