優雅なスモーキングタイム、あるいは痛み。『愛の残像』『君と歩く世界』『偽りなき者』

ぼくたちはいつから、煙草を吸うことの優雅さを失ってしまったのだろうか。
フィリップ・ガレルの『愛の残像』は、劇中、たった一度だけ、男と女が煙草を吸う瞬間がある。恒常的に煙草を摂取するだろう二人にも関わらず、もったいぶるような、たった一度の禁断の瞬間、その表情を観ていると、ああ私たちは煙草はこう吸うべきなのだ、と自らの行いを見つめ直したくなる欲求に駆られる。特に何も考えずにシガーケースに手を伸ばすような行為や、喫煙所に来るや否や、ひたすら吸うことを繰り返す、「吸うこと」自体が目的化した喫煙なんてもってのほかだ。初めてそれを口にしたときを思い出してみようではないか。『カサブランカ』のハンフリー・ボガードに憧れ、かっこいい吸い方を探求したあのときの気持ちを。ゆっくりと10分間もかけて、思考をめぐらしながら、フランス料理の2時間かけるディナーのごとく、優雅なスモーキングを行う。『愛の残像』は久方ぶりに、そんな優雅さを教えてくれる、素晴らしい映画だった。とっくの昔に煙草を止めている私には一切の関係も無い話だ。

あるいは痛みとは。
『君と歩く世界』と『偽りなき者』。今年のベストに確実に並んでくるだろう強度を備えた映画だ。程度や種類の差はあれ、いづれも描かれる人物に悪者はいないがゆえに、生み出される痛みに、ほとんど直視できない瞬間もあって、ただひとり声を潜めて涙を流すを繰り返す。苦手な映画、という表現はあまり好まないが、食指が動かない映画群はあって、その群に入ってしまうすれすれの所を滑走し、見事に着地したという印象。どちらも観てから相応の時間が経つにも関わらず、余韻が残り続けていて、同様の痛さはありつつも『ウィ・アンド・アイ』や『セレステ∞ジェシー』とはやはり一線を画すのだろう。(『ウィ・アンド・アイ』『セレステ∞ジェシー』も相当好きな映画たちだ)マリオン・コティヤール、マッツ・ミケルセン、これらの作品がここまで屈しがたい魅力に満ちているのは、彼らの存在あってこそ、ということも最後に言っておきたい。

『リンカーン』(スティーヴン・スピルバーグ)

使命、という言葉が思い出される。僕のノートにも最近その言葉と決意を記した。それを成し遂げることが、自分が生まれてきた理由だとばかりに、信条を貫いたリンカーンの姿に、まさにこう生きたいという男の姿を見る。一方、真の理想のために信条を曲げるスティーブンスの何よりも強い意志に、圧倒され、発する言葉を失う。

最近観たポツダム宣言受諾から公布までの24時間を描いた『日本のいちばん長い日』(岡本喜八)との一致性に驚く。『日本のいちばん長い日』が、世界大戦に燃える陸軍を抑えポツダム宣言を公布に導いた二人の男(鈴木首相-笠智衆/阿南陸相-三船敏郎)の24時間を描いている一方、『リンカーン』は南北戦争中、その1つの発端となった奴隷制の廃止に導いた二人の男(リンカーン-ダニエル・デイ=ルイス/スティーブンス-トミー・リー・ジョーンズ)にスポットを当てる。双方素晴らしい映画であるだけに、およそ50年の時を超えての、その共振に、喜びを隠せない。

そして、これを撮ったのは他の誰でもなく、スピルバーグだ。映画誕生から100年において、最も偉大な映画監督が、人類の歴史上、最も偉大なことを成し遂げた男を描く、まさに撮られるべくして、撮られた映画だ。アメリカ国民にとって、いまだ最も愛され、尊敬され続ける男、リンカーンを俺の手で映画化するんだ。映画の根元を支える、スピルバーグの使命感/強い意志は揺らぎはしない。

日本のいちばん長い日 DVD