田中大地のwebサイト

とてもお久しぶりにブログ更新します。
今度こそ更新止めないって書くたびに言ってるのだけど、ホント今度こそ。
信頼は言葉ではなく行動で見せるもの。

てわけで、ちょっと前ですが、モアナ・サーフライダーにて妹の結婚式があって、ハワイに初めて行ったのでその雑感メモを書きます。ハワイ一人旅とかしてるの俺くらいだったのではないだろうか。レストランとか入るたびに、alone?と驚かれてた気がする。

Jamba Juice
日本未上陸のジュース屋さん。ハワイのあちこちにある。
これがとてつもない美味さで、毎日飲んでました。ハワイ行く方は絶対行ってほしいわ。
上場してたら確実に投資対象ですよ。

カウアイ島
行く前から多分オアフはつまらないんだろーなと思っていたので(予想外に良かった)、お隣のカウアイ島というところにすぐ移動した。
ここがもう最高に最高で、今まで40カ国ほど行ったのだけど、その中でもベスト5に入るくらいだなーと思ってます。
ちなみに他の4つは、ダマスカス(シリア)、パリ(フランス)、バンコク(タイ)、バリ(インドネシア)かな。

Airbnb
カウアイの旅がファンタスティックの域に達していたのは、Airbnbを使ったことによるところが大きい言えるんだろうなー。最高のホスト・ケーシイ、同時期に宿泊していたラナfromクロアチア、ニコfromオーストラリアとの出会いに心から感謝。やはり僕にとって旅&旅サービスというものは、大事なものだったりするので、Airbnbについてはまた書きます。

初左ハンドル、右側車線
オアフではノースショアやラニカイビーチとか行かなければ、大して必要ないと思うけれど、
カウアイでは、車なければ話にならないわけで。借りましたよレンタカー。初左ハンドル、右側車線。
最初超怖い。隣に人乗せてるのに、左側車線爆走してしまったし。

映画『Begin Again』(ジョン・カーニイ)
最近ある仕事で、世界の映画祭で評価されているが、日本への配給が決まっていない作品を漁っていた。
その中で、最も強い印象を受けたのがこの映画『Begin Again』。予告編を見て、どうしても見たいと思っていたのだが、なんとホノルルのお洒落SC、カハラモール内の映画館で上映中という奇跡。その後の予定全て変更してチケット買っちゃいました。$8くらい。アメリカ安いなー、住みたい。そして本作は今年ベストですよ、いまのところ。滂沱。キーラ・ナイトレー神がかってる。帰ってすぐ監督の前作の『ONCE/ダブリンの街角で』見て、こちらも良かったけど、その10倍は良かったなー。
絶対みんなに観てもらいたいという意識が久々に再燃。日本での配給決まってるのかしら、決まってなければ僕たち、なんとしても日本で公開したいと思う。
さて、作品については、また別に書きます。そう言って書かないことが多いけど、今回はちゃんと書きますよ。

ということで予告編でも見ながら、またね!

すっかり年も明けてしまいましたが、あけましておめでとうございます。

2013年は個人史にとって、とても記憶に残る一年になるだろうと思っています。5年半いたリクルートを卒業しました(かつての同僚、友人と飲むたびにすげーいいとこだったと思うし負けてらんねーなと決意を新たにできる場所)。2014年はまず、私と映画の関わり方についてしっかり再定義したいと思う。そんな状態の中で今年観た144本の映画から新作、スクリーンで観たもののベスト。映画はそれ単体では人生となりえぬ、という言葉に強く共感する。2013年の自分の人生にとってもっともアクチュアリティのあった映画たち。

1.『孤独な天使たち』(ベルナルド・ベルトルッチ、イタリア)
kodokunatenshitachi

 

 

 

 

 

2.『グッバイ・ファーストラブ』(ミア・ハンセン=ラブ、フランス)

goodbye
3.『ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム』(アルノー・ラリユー/ジャン=マリー・ラリユー、フランス・スイス)
perfect crime
4.『ラブバトル』(ジャック・ドワイヨン、フランス)
MesSeancesDeLutte
5.『ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス、フランス・ドイツ)
holymortors
6.『スプリング・ブレイカーズ』(ハーモニー・コリン、アメリカ)
spring
7.『リンカーン』(スティーヴン・スピルバーグ、アメリカ)
steven
8.『君と歩く世界』(ジャック・オディアール、フランス・ベルギー)
rust and bone
9.『次の朝は他人』(ホン・サンス、韓国)
tsuginoasa
10.『オブリビオン』(ジョセフ・コシンスキー、アメリカ)
ob

2013年の私にとって最もアクチュアルに響いた作品は『孤独な天使たち』だった。初めて見た2日後に友人と再度見に行き、2週間後に別の映画館でもう1回行った。1ヶ月間で3度同じ映画を観たことは初めての経験だった。全シーン夢中になって見た。エンドロールの度に何度でも見たいと本気で思った。少年と少女の立ち居振る舞いも表情も仕草もその存在全てが愛おしいと思った。この映画における地下室と、ラリユー兄弟が選んだローザンヌ・ロレックス・ラーニングセンターを見て、映画はロケーションだという言葉を本気で信じた。

それと同時に、2013年は「ラブ三部作」と出会えた年と私の記憶には残るだろう。ミアの圧倒的な才能に愕然とし、ラリユー兄弟の新作に映画体験の幸福さを思い起こし、ドワイヨンに映画はまだまだ進化することを教えてもらった。(『ラブバトル』については、私にはどうすることもできなかった事情により公開を実現できておらず申し訳ない気持ちでいっぱい。来年きっと劇場公開されるだろう、という期待と共に、もしその際には必ずみんなの2014ベストに並ぶことを確信している。)
その他、ドゥニ・ラヴァンの変化っぷりに、夏の夜劇場を出た瞬間の汗に、スピルバーグの情念に、ステファーヌ・フォンテーヌの映し出す光に、反復と違いの発見の楽しさに、SFの愛の記録に、そして流された幾度もの涙に。

また、だいぶ悩んだ結果、この10作品にしたが、下記に挙げる作品はどれも上に挙げた作品と入れ替わってもおかしくない素晴らしい作品たちだった。
『ミステリーズ 運命のリスボン』『ムーンライズ・キングダム』『ザ・マスター』『偽りなき者』『ローマでアモーレ』『女っ気なし』『ウォールフラワー』『ジャンゴ 繋がれざる者』『ゼロ・グラビティ』

素晴らしいたくさんの映画に出会えた2013年に感謝しつつ、2014年も大いに楽しみたいと思います。今年もよろしくお願いします。

■参考記事
2012 best    http://daichitanaka.com/archives/547/
観た映画全作品星取り   http://daichitanaka.com/see_movie/

wallflower
かつてバックパックを背負い、世界中の街々を非計画的に歩くのが好きだった私は、旅に出るたびに、iPodの「on-the-go」とやらの機能を使って、旅のマイプレイリストを作っていたものだ。そこに入っている他の曲はほとんど聞かなくなったが、大学卒業前、最後の長旅、ブルガリアで加えたイルリメの「トリミング」だけは別で、あれから6年も経つのに毎日のように聞き続けている。「見せておきたい景色がずっと募って 写真じゃ切り取りきれないから 話せば白々しくなるから 連れて行きたい気持ちになります」というリリックに当時の私はノックアウトされた。当時大好きだった彼女をおいて一人旅に出ていた自分の境遇を重ね、雪の降りつもる遠い街で涙したものだ。そのリリックは彼女へのエアメールで文中そのまま引用された。
旅には音楽と小説がつきもので、金原瑞人が訳すアメリカ青春小説なんかをバックパックに詰め込んで、名も知らぬカフェ、12時間もの長距離バスの中、ドミトリーのベッド、ほとんど観光もせず本を開いた。数冊の本はすぐに読み終えてしまうので、旅中に出会った日本人と交換する、なんてことをやっていたのだが、そのときにある寺の息子の青年と交換した一冊が『ウォールフラワー』だった。これがまた随分と面白くて、ラオスのカフェで甘ったらしい珈琲と手巻き煙草片手に読みふけったことを思いだす。その小説が映画化するというものだから、思い出を餌にして生きている僕としては映画館に駆けつけない理由なんぞ一つもない。
言うまでもなく『ウォールフラワー』はとびきりに最高で、「パーティーは止まらない、私の青春は終わりはしない」が口癖の私には、青春映画の代名詞のような作品にノックアウトされる。何がっていくつものパーティー、初めてのアルコールとドラッグ、愛すべき友人たち、そして大好きな女の子。エマ・ワトソンが今世紀最大の魅力的な女の子っぷりを披露してくれるのだ。クリスマスパーティーの夜。「チャーリーの初めてキスする人は、好きな人としてもらいたいから、今日は私は彼のことは忘れるわ」との台詞のあとに交わされるキスといったら!(しかもベッドの上!)
だから私の頭の中は「ウォールフラワーパーティー」をやりたいということばっかりで、三連休の初日の夜、新高円寺のマンションの一室で行われたのは、「ウォールフラワーパーティー」以外の何物でもなかっただろう。残念ながらエマ・ワトソンは不在だったのだけれど。
その夕方、『ゼロ・グラビティ』に随分と感動した私は、そこから新高円寺へと向かう。新高円寺駅のクイーンズ伊勢丹でスーパードライとよなよなエールと白ワインなんかを買い込み、スーパードライを飲みながら寒空の下を10分弱歩くだろう。そのマンションの階段の電球は切れ、私は突然の恐怖体験におののきながらも、なんとか3階のモリシーとユカちゃんとカレンの住む家へと到着する。夏、葉山ビーチパーティー以来の彼らとの再会に喜び、ハグなんかを交わす。しばらく経てば、やいちゃんとフルノさんもやってくるだろう。それだけ人が入ればいっぱいのワンルームでわたしたちに許された特別な時間は始まるのだ。60コもの餃子とビールとハムとベーコンをたっぷり入れた焼きそば。iTunesシャッフルで「朝が来るまで終わることのないダンスを」がかかれば、そこはクラブへと変化する。
誰かが電気を消せ、ミラーボールを用意しろと言う。フルノさんが答え部屋の電気を消し、iPhoneでライトを点滅させる。クラブだ!クラブだ!と叫ぶ!ベッドで飛び跳ね、全身を揺らし、踊る。どこからかテキーラも登場し、より一層酔いを加速させる。DJモリシー、DJフルノ、DJダイチが順繰りに選曲する。「みんな泣きながら踊りたいかー?」「イェーイ」のコール&レスポンスで「Rollin’ Rollin’」なんてかかる。ベタすぎーとヤジが飛ぶ。やけのはらのラップを真似なんかする。口々にハッピーニューイアー!とハグを交わす。愛する人たちがそばにいれば他に何もいらない、と私は思う。かつて、中学のとき、映画や音楽だけを愛し、ひとりで生きていけると確信していた私は、ここにはいない。決して多くはなくとも、こんなに素敵な夜を一緒に過ごすことができる友人たちが何人かいる。青春映画が美しいのは必ず終わりが来るからだとしたら、僕の人生は映画よりもだいぶ素晴らしいってことだ。そう、パーティーは止まらないし、私の青春は終わりはしない。メリークリスマス!
ウォールフラワー (集英社文庫)

kodokunatenshitachi

ほとんど一刻を争う闘いに敗れた私は、最終電車を逃し、新橋駅前で路頭に迷う。金曜の夜。手元のスマートフォンから、クラベリアのアプリを起動し、狙いを定め、レイヤに連絡をする。いまからクラブに行かないか。彼は二つ返事で快諾する。私はJR線の改札を離れ、銀座線へ向かう。幡ヶ谷ヘビーシックへ。

幡ヶ谷ヘビーシック。あれは、大学4年の10月頃だったろうか。少しずつ肌寒くなり、ついその日にコートをタンスから引っ張り出してきたことを覚えている。高校の頃から、お互いに告ったり、告られたりし合うも、丁度彼氏がいたり彼女がいたりを繰り返す、とても気のおけない女性とデートをしていた夜のことだ。そのときも、私は、2度目の告白を彼女に行ったところ、外人の彼氏ができた、と告げられ、やけ酒を一緒にしようと彼女を誘う。(最近会った際にそのアイルランド人の彼と結婚が決まったと報告を受けた)

すっかり酩酊していた私に一通のメールが入る。三宅唱からだ。いまから踊りに行こう、幡ヶ谷へ。社会人一年目、幡ヶ谷に住む方と付き合ったため、その後、何度も通うことになる幡ヶ谷駅へ、初めて降り立ったのはこのときである。それまでロック系のクラブばかりに通っていた僕にとって、ジャジーなヒップホップのかかるそのクラブは随分とかっこよく見えた。「大人のクラブ」に対する緊張があったことも覚えている。その後、ルームシェア時代を経て私はヒップホップばかり聞くようになる。VJはしょーくん。サーク、フォード、トニスコ、ゴダール、オリヴェイラの映画を勝手にマッシュアップした映像も、いまだに強い印象が残っている。僕たちはいつだって思い出ヘビーシックだ。

それから6年たった。幡ヶ谷にはそういう事情で随分と明るくなった。3年ぶりのその街も大した変貌を見せていない。ヘビーシックへ向かって気づいた。今日の会場は、中野ヘビーシックゼロだった、と。レイヤと笑い転げて、中野まで歩こうかという話も上がったが、今日はふたりで飲むことにする。少し懐かしい気分になった私たちは、ビリヤードでもやろうか、とタクシーに乗り込んだ。断水していてトイレが使えませんが、それでも良ければと案内されたビリヤードバーで、私たちはダーツに興じた。ほんのワンゲームのつもりだったが、2時間半ダーツを投げ続け、疲労の果てに明大前の彼の家に向かった。
時刻は朝4時。家では、レイヤの兄ちゃんのケンヤを中心に、ヒロくん、ショータ、ヒロキ、ジェレ、まみさん、タエ、みかちゃんらで宴会は続いている。僕以外みんな関西人というこのパーティー会場に、私は、やはり、どうしたってルームシェアをしていた湘南台での夜々が想起され、ほとんど笑いながら、涙を流す。ヒロくんが「進撃の男前」という話をする。うわ、水島ヒロ型が壁を登ってきた!とか、最終話は速水もこみち型で、男前と感じるかどうか人による、といったところで起きる笑いにまぎれ、涙を隠そうと必死に振る舞うのだ。

翌朝目が覚め、仕事に向かう。12月頭に大規模リリースが控え、私は土曜にもかかわらず、会社に向かうことになる。18時ごろ、仕事を切り上げ、山手線で1駅だけ移動する。今年も東京フィルメックスが始まる。有楽町朝日ホール。別名、最悪の上映環境。そこで傑作と名高いジャ・ジャンクーの『罪の手ざわり』を観るなんて、愚かなことはしない。ここを逃すと、観ることのできない可能性すらある作品だけを選択する。だから、マフマルバフの『微笑み絶やさず』から、私のフィルメックスは始まる。まさに、映画祭の始まりにふさわしいプログラムだ。かつてアンリ・ラングロワに憧れた私は、いまキム・ドンホに敬意を払わなければならないことを知る。空席の目立つフィルメックスと比較して、華々しく盛り上がる釜山国際映画祭の姿を見れば、彼の偉大さに誰もが気づくだろう。

次に観た『若さ』は決して悪くない。唇と足、性的に転ぶか、転ばないかの微妙な描写や、女を解放してからの切り返しなど、見事、と言いたくなる。しかし、そのタイトルと地下室というロケーションから、ベルトルッチの『孤独な天使たち』を思い浮かべてしまう。比べる私が悪いことはわかっているのだが、やはり、ベルトルッチの最高傑作であり、青春映画の金字塔の凄さを実感するばかりである。
スキー旅行に行っているはずだった彼が、1週間という終わりが必ず来ることと同様に、『若さ』のヤキも出兵への期限があったのではないか。だからこそ、女を解放せざるをえなかったのではないか。青春映画のゲームの規則、すなわち、終わりがあるからこそ美しい、を見事に体現しているとは言い難い。あるいはロケーションをもっと魅力的に撮り上げることはできなかったろうか。まるでドラえもんのポケットのような、映画装置が全てそこに詰まった地下室、ベルトルッチはその場を作り上げたように。

ロケーションという言葉で思い出す。今年、『孤独な天使たち』の地下室を超えるロケーション、ローザンヌ・ロレックス・センターを舞台にした、『ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム』(ラリユー兄弟)について、このブログで一言も触れられていないことをずっと引きずっている。壁のない設計、婉曲した迷路のような構造、人と人がすれ違う、ただの偶然のはずだったその行為が全てサスペンスに昇華する。
映画はロケーションだ。そして地の利を最大に活かす演出力だ。他の誰に言われても、簡単に頷くことは難しいその断定は、しかしラリユー兄弟のこの傑作を前にしたら、誰にも否定はできないだろう。

もはや、フィルメックスも始まってしまった今、東京国際映画祭について、書くこともどうだろうか。しかし、一言だけでも、と思うのは、「ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム」という映画のせいで、それはもうどう考えたって筆舌しがたい感動に包まれていた。あの、婉曲した大スクリーンで、一瞬足りとも、気の抜けないショット・ショット・ショットに満ちたラリユー兄弟の映画が観れただけで、私は、本当に、バカみたいな話だけど、生きててよかった、映画を愛していて良かった、なんて思ってしまうのだ。これがラストショットだ、と確信してやまないラスト前ショット(つまり私の確信は簡単に裏切られる)、マイウェンのショットは、映画史100年の歴史で最も美しいショットのひとつだろう。
今年、私にとって最も大事な作品となったのは「ラブ三部作」だ、と声高に叫びたい。『グッバイ・ファーストラブ』、『ラブバトル』、そして『ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム』だと。

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perfect crime

しばらくぶりに少し早く帰れたので、というか毎週木曜日はグローバル人になるため、英語のスクールに行っており、スクールに行っているからこそ会社を必要に迫られて早く上がるため、23時頃には帰宅することができた。映画を愛するがあまりに、映画を観る時間の余裕を失った哀れな私のことを、後世の子供たちは後ろ指を指して笑うだろう。ふと『マイレージ・マイライフ』での印象的なシーンを思い出した。ジョージ・クルーニーに解雇を宣告された会社のために一心に尽くしてきたおじさんが「子供は解雇された私への尊敬を失うだろう」と言う。クルーニーは答える。「子供は元からあなたのことを尊敬してなんかいませんよ。あなたに夢はありますか?・・・そうですか、飲食店を立ち上げることですか。子供が親へ尊敬を抱くときは、ただ夢に向かって走り続ける親の姿を見ているときだけです。」この瞬間私の涙腺は崩壊した。『マイレージ・マイライフ』は私にとって最も大事なキャリア論映画の一本となった。私は、毎日どこかで出会うこういった一つ一つの言葉を拾い、私の選択は間違っていなかったはずだと暗示をかける日々を送っている。

さて、久方ぶりにできた時間をどう使おうか?明日の仕事の準備に?英語の復習に?書こうと思いつつ長らく筆をとれずにいた手紙を書くために?思い悩むうちに、今朝読んだ、友人の素晴らしいブログを思い出した。幾つかの夜が、いや幾つもの夜が、私には輝かしい記憶として残っている。そのうちの一つが、日暮里かどこかの森本稀哲の実家の焼肉屋で日ハムの優勝を祝ったときだし、また一つが、新文芸坐でゴダールを「再発見」したオールナイト上映だった。彼のブログを読んで、それが一晩で起こった連なる出来事だということを思い出した。そうだ、ブログがあったじゃないか。映画のことを書かなきゃなあ、でも何か書きたいほどの映画にもしばらく出会っていないし、いや一本あった。しかし、私の打盤によって『孤独な天使たち』を汚すような真似はしたくない。そうこうしているうちに早3ヶ月以上が経ってしまった。映画のことなんて書く必要はない、私はこの輝かしい人生を永遠に保存するために日記を書き連ねよう。というわけで皆さまお久しぶりです。ここまでが長い挨拶。

そして物語は突然にキャリア論へと展開する。私は今はとても紆余曲折あり「映画×旅×IT」みたいな、なんていうか私がこれまで過ごしてきた人生の色々をミックスしたようなことをやっているのだが、そうなった過程はとても面白いので、さし飲みの話題以外には濫用しないようにしている。マイライフ、について徹底的に考えた末に私はこういった決断をしたのだが、いまの素直な気持ちは、(これは妥協でも諦めでもなんでもなく、)映画は私にとって夢の塊であるが、しかし、旅とITというジャンルも生きるための仕事としては最良の選択の一つである、ということだ。置き換えると、映画とかもう好き好き大好き超愛してる、のは間違いない。加えて、旅とか想像しただけですごくワクワクするね!という感情も、ITで成しあがってるキャリア成長実感はんぱねーと恍惚感に浸りもするし、そのどちらも、仕事として選択するのは全然ありだと思った。私には多彩な人生の選択肢が広がってしかいない。

映画業界に入ったとても大切な友人は、4大税理士法人、いわゆる30歳年収1,000万円の世界、一般的には華々しいキャリアを捨てて、映画の道へ入った。そういった人はワンサカいる。それだけ映画というものは人の人生を狂わせる。そして、半年後、彼女は言った。「私は、税理士法人に戻ることにした。夢を追って、これができなきゃ生きてる意味なんかないと、業界に飛び込んだ。でも今は、映画は趣味でいいんだ、と思ったら、とても気持ちが楽になったの。」こう言う彼女のことを誰が責められようか。ただ、寂しいという思いはあれど、あくまで多彩な人生の選択肢のひとつだ。少しばかり罪悪感を持って話すような彼女に、ひとつだけ、伝えなければいけないと思った。私たちは、夢に向かって挑戦と前進をしたこと、これだけは確かに誇るべきだ、と。それだけであなたは勝者だと。私は、いや私も、人の挑戦や前進をあげつらい、ゴシップだけが話題の醜い人々とは一緒にいたくもない。

キャリア論的には、夢に向かって走るのは、20代にしておくべきだ、ということもまた事実である。たとえその選択が間違っていても、彼女のように、カタギの世界にいくらでも戻ることはできるからだ。夢があるにも関わらず、自分を押し殺して、くすぶって、35歳を過ぎてさあ今こそ!という選択に失敗は許されない。まともな世界に戻ることができる可能性は激減するからだ。私たちの人生にとって、その選択はハイリスク過ぎる。いま私は28歳。考えられる猶予は最大1年半、と言ったところだろうか。人生をとてつもなく楽しむために、ときにずる賢く、計画的に考えていきたい。

思っていた以上にキャリア論日記になってしまった。私のいまの一番の楽しみは、もうすぐ開催される、東京国際映画祭だ。なんせ、ラリユー兄弟の新作が上映されるのである。映画関係者であるので、先行試写もあったり、チケットは無料とかで貰えたりもするのだが、先行試写は平日でなかなか動けないだろうし、無料チケットは満席になったら貰えないリスクもあるので、10月5日のチケット発売時間には待機しておかなければならない。パリに行ったときに(輝かしい記憶!)、私はでかいDVD屋みたいなところで、フランス語しか話せない店員にラリユー!ラリユー!と叫び、誰やねんそれと反応されながら、『運命のつくりかた』『描くべきか、愛を交わすべきか』のDVD(当然フランス語のみ)を購入したほど、私にとって、ラリユー兄弟は最も愛してやまない映画監督たちの一人だし、主演のマチューもサラ・フォレスティエも、最も愛してやまない俳優たちだから、『ラブ・イズ・ア・パーフェクト・クライム』(なんて破廉恥なタイトル!)は最も愛してやまない映画たちの一つになるだろう。

マイレージ、マイライフ DVD

 

いまだ日本に残る3Kが揃った業界の代表格こそ映画業界だと思うのだけど、それでも数少ない役得はあって、バイヤーということで映画祭の未配給作品はタダで観れたりするもので、そう言った恩恵をありがたく受けながら、フランス映画祭に足を運ぶ。といっても周りのみなさんのおっしゃる通り、「先行上映の場」(あるいは映画パブリシティーの一環)と化した感のあるフランス映画祭は、新作実写は上映11作品中8作品が劇場公開決定済み、ということで実質候補は3作品のみ。僕自身は、土曜日は用があったので、『アナタの子供』(ジャック・ドワイヨン)、『恋のときめき乱気流』(アレクサンドル・カスタネッティ)のみの参加となった。(勿論、トリュフォーの『緑色の部屋』は駆けつけましたよ)

よほど感動的な話を聞ける場合を除きゲストのトークとか興味がない僕からしてみれば、公開決定済み作品を小さなスクリーンでわざわざ観る理由もないというもので、『黒いスーツを着た男』『椿姫ができるまで』『わたしはロランス』『遭難者(仮)/女っ気なし(仮)』『ウェリントン将軍~ナポレオンを倒した男~(仮)』もTWタイムラインの熱狂にも煽動されず。見ざる聞かざる動かざる。

相変わらず素晴らしい映画祭レポートを届けてくれるブログ*1を観る限り、秦早穂子氏のトークが聞けなかったことにうぬぬと思うも、そもそも土曜はどうしたって参加が難しかったので潔く諦めようと。僕がかつて、はてなダイアリーでしょうもなく、しかし僕にとっては感動的な日記をつけていた頃*2、アカウント名に「Lola」と使うほど好きな映画のデジタルリマスター版が上映されようと、仕方ないものは仕方ないのだ。と書いてみて、Lolaとつけたのはフィリップ・ガレルの『恋人たちの失われた革命』からThe Kinksムーブメントが周囲で勃発し、キンクスの名曲「Lola」からとったのかもしれないと思い始めた。全くどちらでもよいことだが。ウェス・アンダーソン!

と、ここまで書いたところで、酔っ払っている勢いもあるのか、どうしたって私はいますぐに「This Time Tomorrow」を聞かればならないという使命感に駆られ、youtubeを開く*3。冒頭女2人がけだるそうにソファーにもたれかかっている。女が振り返る。私は彼ら彼女らの動きに一瞬たりとも目を離せなくなる。およそ2分1秒をピークにわたしたちは宣戦布告するだろう。映画のストーリーなんてひとつたりとも覚えちゃいないが、このシーンだけは目をつむればほとんど思い浮かぶ。これこそ映画だ、と思う。ところでさっきから本文中にうまくリンクが貼れずとても悩ましい状態だ。なので、下にリンク集をまとめておこう。

さて、何の話だったろうか。そうゲストだ!ゲストに全く興味のない私は、サニエ嬢が登壇して一目観れた瞬間に席を立った。満席の中、席を立ったのはおそらく私だけだったろう。サニエ嬢は大好きだし、『恋のときめき乱気流』も大好きな王道ラブコメだったが、しかし私は翌日5時半に起きて早朝英語レッスンに向かわねばならない。将来サニエと対談するために、いまは観客席から眺める立場はやめよう、と決めるのである。ほとんどアメリカ映画だ!と叫ばずにいられない本作は是非配給されると嬉しいです(だんだんと疲れてきた)

 

 

というわけで、ようやく本題のジャック・ドワイヨン『アナタの子供』である。

これがまたとんでもなく素晴らしい大傑作だ。

一部の方はご存じであろうが、本作の後に撮られたドワイヨン最新作『ラブバトル』は私たちが配給することを決定した。『アナタの子供』も『ラブバトル』も、『ラ・ピラート』から連綿と続くドワイヨン映画、すなわち男と女の会話劇/肉体的なコミュニケーションからは一切外れもしない映画である。(その意味で「作家性」という言葉が最もしっくりくるのはジャック・ドワイヨンこそ、と言いたい。)

しかしこの2作は地盤は共通であれ、やろうとせんことは、全く逆の作品である。ドワイヨンは『ラブバトル』において、そのノワール的な雰囲気と裏腹に、サスペンス性を徹底的に排除する。本気になれば一瞬で女を文字通り潰しかねん屈強な男(ジェームズ・ティエレ)と強風ですら吹き飛ばされそうなガリガリの女(サラ・フォレスティエ)の”バトル”がほとんど唯一のストーリーめいたものである『ラブバトル』は、誰がどう見ても「男が本気になれば、女なんて一瞬で負かしてしまうことができる」ことは明らかである。すなわち、最初から勝敗は分かっているのである。そこに”どう転ぶか分からない”サスペンス性は一切存在を許されない。

一方、『アナタの子供』はどうだろう。まさにドワイヨンの主戦場と言える、「男2人と女、そして子役」を並べ、二人の男の間で揺れる女を描く本作において、我々はルー・ドワイヨン演じる女の選択を、その結末がわかるわずか一瞬前まで、確心を持ちえない。あるいは、双方の男すらも捨て、子供と2人で生きるのか、という選択すらも想起させる、思い出のホテルへと車を走らせるルー・ドワイヨンの姿を観て、わたしたちは「喜劇的」だった映画が一瞬にして、とてつもない傑作に昇華する瞬間を目撃する。そして、最後の浜辺における”儀式”で、この映画は、喜劇であると同時に”最高のサスペンス”だったのだと舌を巻く。しかし、このラストが『わたしたちの宣戦布告』に並ぶ、”爽やかさ”を備えているからこそ、心から、「最高だった」という言葉が生まれるのだろう。

 

2013年のベストにドワイヨン作品を2作入れたくもなる、いたずら心が芽生えることはいけないことだろうか。そして、『アナタの子供』もやりたいな、なんてね。

 

 

*1 http://imaginarypossibilities.blogspot.jp/2013/06/2013.html
*2 http://d.hatena.ne.jp/Lola/
*3 http://www.youtube.com/watch?v=qgeglxSJJa8

 

ラ・ピラート ジェーン・バーキン DVD

映画配給・宣伝マンはライターやマスコミとかと違って、他社配給の試写会に呼ばれるという機会はめったになくて、それは当然、別にあなたに観てもらってもどこかに掲載されるわけでもないし、という真っ当な理由でしかない。どうすれば呼ばれるのだろうか?ライターと勝手に名乗ればよいのだろうか?映画ライターと記載された名刺を作成し、至る所にばらまけば良いのだろうか?もしくは、このWebサイトのPVがイケダハヤトくらいになれば・・・。

しかし昨日はめずらしく試写状を頂戴したため、『インポッシブル』(J・A・バヨナ)に行ってきた。その試写はマスコミ試写ではなかったので、よみうりホールで行われた。よみうりホールは映画鑑賞環境としては有楽町朝日ホールと並ぶ最悪の場所だと思っているし、あれだけの人数を試写に招待して、売上棄損はどの程度大きいのか(それは果たしてクチコミ、ソーシャルによる拡散効果を超えうるのか?)とばかり心配になる。そんなビジネスライクな私の思考に、こちら側の人間についに染まってしまったか(Be Happy!)。

さて、『インポッシブル』はとかく涙を流しなさいよ!良かったと言いなさいよ!と空気を醸成してくる映画で、そのため私は、良かった、泣いた、と思ったし、口にした。上映前に、宣伝の人が噛み噛みになりながら、「津波の凄いシーンがあって、それが本当にすごくて、すごすぎるから、もし具合が悪くなったら後方で休んでかまわないので」と説明をしている間の、あの居心地の悪さに対して、私にはどう振る舞うべきか全くわからない。その宣伝マンの事前のネタバレのおかげで、ビーチではしゃぐ家族の姿を観ながら大いに心配し、夜ベッドに入る姿を観て、良かった今日も無事過ごせた、と安心をするという行為を繰り返す。しかし、そのときはやってくる。鳥がギャアギャア叫び、低音が響き、画面が揺れ、大波がやってくる。それはまさに尋常でない経験。これだけでスクリーンで体感するべき、しなければならない映画だ。

ただ、衝撃性と美術、メークアップに頼ってる部分も否めず、劇場的興奮は相当あれど、映画的興奮は正直疑問。津波から立ち直る物語かと勝手に思っていたので、まさか津波発生の数日を描いているとは思わず驚くも、しかし120分持つ映画ではなく、ダラダラ感も。いちばん、ウゲーとなったのは、ラスト「チューリッヒ保険です」からで、もう苦笑と興ざめ。異常に長いエンドロールもあいまって、前半の興奮を後半に全く維持できず。

宣伝文句は、いまこそ日本人が観るべき映画。そう紹介される映画としては、『ヒア アフター』の方が圧倒的にしっくりくる(映画の質も格段に上)あれこそ、津波から真に立ち直る物語だった。311後すぐに公開中止となったが、だからこそ上映するべき、観るべき映画だったと強く思った。その点、『インポッシブル』は「家族の絆」を実感はすれど、「再生と立ち直りの映画」では決してない、ということも添えておこう。

ヒア アフター DVD

ぼくたちはいつから、煙草を吸うことの優雅さを失ってしまったのだろうか。
フィリップ・ガレルの『愛の残像』は、劇中、たった一度だけ、男と女が煙草を吸う瞬間がある。恒常的に煙草を摂取するだろう二人にも関わらず、もったいぶるような、たった一度の禁断の瞬間、その表情を観ていると、ああ私たちは煙草はこう吸うべきなのだ、と自らの行いを見つめ直したくなる欲求に駆られる。特に何も考えずにシガーケースに手を伸ばすような行為や、喫煙所に来るや否や、ひたすら吸うことを繰り返す、「吸うこと」自体が目的化した喫煙なんてもってのほかだ。初めてそれを口にしたときを思い出してみようではないか。『カサブランカ』のハンフリー・ボガードに憧れ、かっこいい吸い方を探求したあのときの気持ちを。ゆっくりと10分間もかけて、思考をめぐらしながら、フランス料理の2時間かけるディナーのごとく、優雅なスモーキングを行う。『愛の残像』は久方ぶりに、そんな優雅さを教えてくれる、素晴らしい映画だった。とっくの昔に煙草を止めている私には一切の関係も無い話だ。

あるいは痛みとは。
『君と歩く世界』と『偽りなき者』。今年のベストに確実に並んでくるだろう強度を備えた映画だ。程度や種類の差はあれ、いづれも描かれる人物に悪者はいないがゆえに、生み出される痛みに、ほとんど直視できない瞬間もあって、ただひとり声を潜めて涙を流すを繰り返す。苦手な映画、という表現はあまり好まないが、食指が動かない映画群はあって、その群に入ってしまうすれすれの所を滑走し、見事に着地したという印象。どちらも観てから相応の時間が経つにも関わらず、余韻が残り続けていて、同様の痛さはありつつも『ウィ・アンド・アイ』や『セレステ∞ジェシー』とはやはり一線を画すのだろう。(『ウィ・アンド・アイ』『セレステ∞ジェシー』も相当好きな映画たちだ)マリオン・コティヤール、マッツ・ミケルセン、これらの作品がここまで屈しがたい魅力に満ちているのは、彼らの存在あってこそ、ということも最後に言っておきたい。

使命、という言葉が思い出される。僕のノートにも最近その言葉と決意を記した。それを成し遂げることが、自分が生まれてきた理由だとばかりに、信条を貫いたリンカーンの姿に、まさにこう生きたいという男の姿を見る。一方、真の理想のために信条を曲げるスティーブンスの何よりも強い意志に、圧倒され、発する言葉を失う。

最近観たポツダム宣言受諾から公布までの24時間を描いた『日本のいちばん長い日』(岡本喜八)との一致性に驚く。『日本のいちばん長い日』が、世界大戦に燃える陸軍を抑えポツダム宣言を公布に導いた二人の男(鈴木首相-笠智衆/阿南陸相-三船敏郎)の24時間を描いている一方、『リンカーン』は南北戦争中、その1つの発端となった奴隷制の廃止に導いた二人の男(リンカーン-ダニエル・デイ=ルイス/スティーブンス-トミー・リー・ジョーンズ)にスポットを当てる。双方素晴らしい映画であるだけに、およそ50年の時を超えての、その共振に、喜びを隠せない。

そして、これを撮ったのは他の誰でもなく、スピルバーグだ。映画誕生から100年において、最も偉大な映画監督が、人類の歴史上、最も偉大なことを成し遂げた男を描く、まさに撮られるべくして、撮られた映画だ。アメリカ国民にとって、いまだ最も愛され、尊敬され続ける男、リンカーンを俺の手で映画化するんだ。映画の根元を支える、スピルバーグの使命感/強い意志は揺らぎはしない。

日本のいちばん長い日 DVD

渋谷イメージ・フォーラムにて開催中の「フレンチ・フィーメイル・ニューウェーブ」。
引越しをしたため、足がなかなかに遠のいていた渋谷に久々に訪れ、ようやく今日観ることができた。3作品を朝から晩まで続けて。本当幸せ。興奮で眠れない。

なんといっても、『グッバイ・ファーストラブ』である。近年最も充実した時間を与えてくれた1本でもある『あの夏の子供たち』を撮ったミア・ハンセン=ラブの新作だ。
同時上映された2本、十分に語るに値する『ベルヴィル・トーキョー』(ヴァレリー・ドンゼッリのあの愛おしさ/狂おしさ。)、デプレシャンのテーマをアルトマンが撮ったかと見まがう傑作『スカイラブ』も、ともに素晴らしかったが、正直ハンセン=ラブの新作を前にしては1つの映画に過ぎない、と言いきってしまいたい。それほどまでに『グッバイ・ファーストラブ』はまさに1年に1本現れるかどうかの、圧倒的な傑作である。

 

映画は、少年シュリヴァンが自転車でパリの街を駆けるシーンからはじまる。自販機でコンドームらしきものを手に入れた彼は女に会いにいくのだと、僕たちは予感する。その予感は想像を超えた形で的中する。裸の女がベッドでその身体を毛布に隠して待っている。まだ胸の膨らみを男に見られることにすら慣れていない少女のようだ。誰にとっても魅力的な容姿を持つその女の名をカミーユと知る。カミーユとシュリヴァンのその場でのやり取りはしかし、二人の関係が既に終わりかけであることを示唆する。男が私の全てであるという女に対し、男は女のことを愛してはいるが自分を構成する一部でしかなく、重くなるなら別れると簡単に言ってのける。大切な祖父の形見すら、自分の旅のために簡単に売ってしまう、欲望に従順な男の南米の旅によって、誰もが予感したとおり、二人は離れ離れとなるだろう。最後に届いた手紙には、「浮気現場を見るかい?」という酷な言葉のあと「愛しているが別れよう」と書かれる。

数年が経過し、カミーユは建築家を志している。「スペース(=愛の喪失)を埋めるため」と言う。後に付き合うことになる建築家ロレンツとのやり取りにおいて、「記憶は闇だ」「記憶力が悪い。2度体験しなければ記憶できない」と語られる。そしてシュリヴァンとの再会。10年近くが経過し、すっかり大人になった二人の歩みの間、関係はしかし、かつてを懐かしむようなものではなく、どこか不穏さを携える。再びの自転車、川、麦わら帽子、いくつもの「反復の合図」は合ったにも関わらず、「1度だけの体験では記憶できない」カミーユはまたもや、別れの手紙を受け取ることになるだろう。愛の頂点においての、その愛の喪失を繰り返すことになる。

 

この傑作を前にした我々は、自らの持つ語彙や映画的知識を駆使して『グッバイ・ファーストラブ』について語ろうとするだろう。このシーンは○○を示唆する、アサイヤスの影響が、ブレッソンのこの映画を参照とした・・・。この映画を前にして口を閉じることは許されぬ、そのような切実さ、義務感すら覚える。しかし、我々が『グッバイ・ファ-ストラブ』についていかに語ろうが、決してこの映画には追いつくことができない。なぜなら、ハンセン=ラブは、いざ撮るときに、他の映画作家がやるように何かを意識的に撮るという行為をやっているようには見えないからだ。

彼女自身、「後になって、何処から影響が来たのか、何処からインスピレーションが来たのか、考えられるようになるという感じ」と語るように、彼女の映画のみずみずしさは、何かを意識して撮影を行うことで得たものではなく、ただ感覚的に「大切だ」と思った瞬間をキャメラに収めた結果、自然と生まれ出たもののように見える。難しいこと考えると疲れちゃうじゃない。そんなことすら言ってのけるハンセン=ラブの姿が目に浮かぶ。

そのことは、この映画の魅力が結実した瞬間が、カミーユ(ないしカミーユとシュリヴァン/ロレンツ)が川沿いで/岸辺で/パリの雑踏で「歩く」シーンであることからもわかる。言葉も何も必要ない。難しいことは考えない。彼女(たち)が歩く、それをフィルムに焼きつけることが何よりも大切だと思うから、ハンセン=ラブは撮るのだ。生み出されたフィルムの愛おしさは、観たもの誰もが知る通りだ。そしてその豊潤さを前に思うだろう。彼女たちの動き/感情、顔身体/水辺にあたる光そして影、あるいは背景の信号機の見せる黄と青、トラックの赤、果ては通行人ひとりひとりでさえも、何一つ欠けてはこの魔力的な美しさは存在しえない、と。

完璧なショットを撮るとは、シーンを構成する要素が何かひとつでも欠けることすら許されぬ、かつ決して過剰ではない状態を切り取ることだと思っている。完璧なショットによって、映画は、人を引き込んでやまない特別な力を備える。それこそが映画の奇跡というものだ。多くの映画作家は、その完璧なショットを自らの映画に焼きつけよう、と必死に計画し試行錯誤する。しかし、そこには偶然の要素が介在する。たまたま光が刺した、たまたま雨が降ってきた、たまたま電車が通った。そうした偶然が、映画の奇跡にはどうしたって必要だ。

しかし、ハンセン=ラブはその奇跡を自由に生み出すことができるようだ。彼女がキャメラを向ければ、奇跡の成立に必要な偶然が起こる。だから完璧なショットをいくつも生み出すことができる。まるで、ハンセン=ラブは映画の神に選ばれているようだ。そうとすら言ってしまいた欲求にかられるほど、彼女の映画は完璧なショットで満ち溢れている。かつてレオス・カラックスがそうであったように、たとえ彼ら以外が映画をいかに見ようと、映画における知識/経験をいかに積み重ねようと、ハンセン=ラブは超えられない。そう言い切ってしまうことすら憚られぬ『グッバイ・ファーストラブ』。同時代を生きる僕たちが、この映画を見ずして、映画について語ることは許されない。

5月10日まで渋谷イメージフォーラムにて公開中。大阪、京都、福岡、名古屋、仙台、横浜と公開予定。

http://mermaidfilms.co.jp/ffnw/theater.html

あの夏の子供たち DVD