田中大地のwebサイト

ようやく、ようやくネットが復活した。月々若干のお金をケチったばかりに、ネットが繋がらない日々を過ごしており、ブログの更新もできずにいた。前回更新がどうやら1月のようなので、約3か月ぶりとなる。あのときは雪もふっていたが、今では大岡川に満開に咲いた桜すら散ってしまった。ブログを更新しない、即ち、映画や音楽に触れる頻度は多くなるということ。というわけで、4月の日記でも書いてみよう。

最近は、とある事情により時間をもてあます日々を送っている。(そのあたりはまた5月入るころに詳細を書こうかと。)毎日忙しい現代人の方々からしたら羨ましくて仕方ない、もはや刺殺されかれない日々を謳歌している。やはり時間があれば、と映画を観るわけで、4月1日ファーストデイは平日とか関係なく『愛、アムール』(ミヒャエル・ハネケ)、『ザ・マスター』(ポール・トーマス・アンダーソン)を観る。

最近映画を観ようとするたびに不安に襲われる。「自分が不感症になってしまったらどうしようか」、という不安である。どんな映画もかつてのように愛せず、かつては大いに涙し、心を震わせただろう瞬間でさえも、平然と、ドントムーブ、私。みたいになったらどうしていこう、と。僕が生きた二十数年のうち、少なくとも15年の間は映画を信頼し、映画に身を捧げ、映画に寄って生きてきたようなところがあるので、自分が不感症になった瞬間、はて私は、となってしまうだろう。全く脆い。いくつか兆候はあって、今朝家で観た『遠雷』(根岸吉太郎)とかもう全然感動を覚えない。最後に歌うとこと石田えりの乳房くらい以外に、少しも心動くことなく138分は過ぎ去った。エンドロールが流れ、はっと気付く。私は、この2時間強、なにを観ていたのだ、と。苦痛とはこういうことだ。珈琲はすっかり冷めてしまった。

だから最近の映画鑑賞のスタイルとは、私にとって何よりも恐怖の、自分はまだ映画で感動できる、ということを確かめるために観るようなところがあるのだ。実際にこの4月は、いくつもの素晴らしい映画たちと出会うことができ、私はまだ生きている。ここにいる。かつてほど、涙を流すことはなくなった。私は渇いていく。

また何を言っているかわからなくなった。
ファーストデイの話に戻ろう。ミヒャエル・ハネケもポール・トーマス・アンダーソンも私の人生にとってはわりかし、どうでもいい人たちで、ハネケとか嫌いな監督3人挙げてと聞かれれば、いの一番に挙げたい監督であるし、次はトリアーで、アロノフスキーと並ぶだろう。さらにデヴィッド・クローネンバーグもすごく嫌いだ(今週公開の『コズモポリス』は楽しみだ。ビジュアルが『ゴシップガール』ぽくてすき)。ポール・トーマス・アンダーソンは全然嫌いじゃないけど、『ブギーナイツ』よかったよね、確かというくらいで思い入れはない。大体長い映画が多すぎる!映画のためにならない。映画を撮る方々は、人に観てもらうために、大切な時間の一部を頂戴していることにもっと意識的でなければならない。長い映画が許されるのはハリウッドであり、長い映画を撮りたいならハリウッドで撮れるくらいの人材になってもらいたい。

『愛、アムール』は、ハネケという存在は、やはり僕の人生にとって無縁であり続けることを決定的にした作品であり、特に何ら心動かされなかった。おばあちゃんがロボットみたいに突然動きが止まるので、笑ってしまったくらいだ。パルムドールとか取る、こういう作品で心が動かされないと、ああ、私はやはり不感症になってしまったのかと、びくびくする。

だから次に観た『ザ・マスター』が本当に素晴らしくて、私は生を実感する。冒頭の海、青、そしてホアキン・フェニックスの顔がドンと据えられたショットでぶわっと、涙で頬がべちょべちょになる。「おかえり、おかえりホアキン」、私は心の中でつぶやく。同じ現象は数日後『ホーリー・モーターズ』を観たときにも起こったことは言うまでも無い。「おかえり、おかえりカラックス」。

『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』『アンダーカヴァー』『トゥー・ラバーズ』僕の大切な映画にはいつも彼がいた。言いすぎだ。しかし、あのホアキンのバチっと固められた髪型、額、そして今にも人を殺しかねん目つき、あるいは不気味さ、がスクリーンに映る、にじむだけで私は幸せで昇天しそうになる。そのホアキン演ずるフレディの居場所として全く相応しくないデパートのシーンのあまりの素晴らしさはどうだろうか。「4999ドル」と当時の人々にとっては圧倒的に破格だろう毛皮のコートを売り歩く女性を追うキャメラの滑らかな動き。ジャケットとタイでぴしっと決めたホアキンがキャメラを携える佇まい。客にふっかける喧嘩。映画は冒頭から一瞬も揺るがずに、疾走する。

ここまで書いてみて、お腹がすいてきた。近くの『YOHO』というお店がとても美味しいとOZマガジンに書かれていたので、ワインでも飲みにいこう。そう決めた僕はこの日の日記のタイトルを「4月、映画」から、「4月1日、映画、ホアキン」に修正・変更することで、何かを成し遂げた気になる。僕の人生はこうせこたらしい調整、調整を重ねることで何かを言い訳し、取り繕うことを繰り返している。だからといって、特に気にしていない。僕の人生にとってそれは大して大事なことではないのだ。簡単に取り繕えることならば取り繕えばいい。僕にはもっと大事なことがあるのだ。オーディオからはEVISBEATS feat 田我流の『ゆれる』が流れてきた。身体が酒を欲している。

『ザ・マスター』最高です。

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1月14日(月)、その日東京は稀に見る大雪だった。
そんな日に、『次の朝は他人』が見せる美しい雪のシーンに、「偶然」出くわした観客は、その自身の映画体験をなんらかの理由づけをしてみたくなる欲求にかられるだろう。
(当然、劇場を後にした誰しもが目の前の悲惨さに、やはり映画中における雪は幻想でしかなかったのか、と思わざるをえないわけだが。)

映画における雪と言えば、夜の台北から、雪の夕張へと浮遊して見せる『ミレニアム・マンボ』(侯孝賢)が最も印象的に残っているわけだが、『次の朝は他人』の主人公・映画監督が雪中に見せる表情は、あるいは突然のキスシーンは、決してそれに劣らぬ素晴らしいシーンを持つ、冬の映画である。
朝になることをサインに、主人公だけが、おぼろげに記憶を残しているかのような素振りを見せつつも、他の誰もが記憶を失くし、ほとんど唐突なまでに映画は反復する。
朝になる度に、繰り返す、しかし少しずつ違う、僕たちはその「違い」(あるいは「同じ」)を発見する優雅な遊戯に没頭するだろう。
主人公自らが言うように、「人は無数の『偶然』を勝手に紐づけ、『理由づけ』したがる」ものなのだから、僕たちはその宣言通りに、「反復と違い、そして同じの間」を楽しめばいい。これも1つの映画的楽しみなのだ。

その甘美な楽しみに身をひたらせていると、そう言えば最近も同じような遊びをした気がするな、と思い出す。
そう、三宅唱の『Playback』である。(書いていて思い出したが、彼が生まれ故郷の北海道で撮り上げた前作『やくたたず』も素晴らしい雪の映画であった。)『Playback』もその名の通り、あるサインで主人公だけが記憶を残したまま映画は繰り返す。2度目には、その違いを楽しむことに没頭したものだ。
さらに、共通点はそれだけに留まらない。モノクロの美しく、そして実験的な映像。かつては映画で名を馳せたが、現在は落ち目、という主人公の境遇までも類似している。

全くこのような映画たちが、ほぼ同時期に公開されたことは、なんたる「偶然」か、と喜びを隠せない。
この偶然を「韓国と日本で映画同士が呼応しあっているのではないか」なんて理由づけして遊んだとしても、誰にも責められはしないだろう。

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『Playback』(三宅唱)

バレエに関する映画や小説が好きだ。バレエのドキュメンタリー映画なんて公開されればそれが全然名前を聞いたことのない監督であれ、つい映画館に駆けつけてしまう。『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ』(ベス・カーグマン)もBUNKAMURAで観て、とてつもなく感動した。若者たちのがんばってる姿とか、その先の挫折と栄光ってだけでもう超泣いてしまうのだけど、それがバレエだとなおさらだ。ちなみに一番好きな漫画は『舞姫 テレプシコーラ』(山岸涼子)だったりもする。

たぶん作り手のアクチュアリティの問題なのだと思う。いかに自分の話を語っているか、というのは作品の魅力にダイレクトに跳ね返ってくるのでないか、と考えている。そう、バレエの映画を撮る人やそれについて書く人は、ワイズマンこそ違うかもしれないが、みんな過去にバレエやっているのだ。
ハリウッドのスパイ映画とかSF映画、超おもしろいし超大好きだけど、昔ソ連のスパイだったり前職CIAだったって人や実際にエイリアン昔襲われたことがあってあのときマジ怖かったんだよね、ということを伝えたくて映画撮りましたって監督は多分ほとんどいないはずで、そこにアクチュアリティというものは皆無。(アクチュアリティがないはずなのに書けるということがまじで凄いんだ!と最近飲んだ素晴らしい私小説を書く友人は言っていたし、その通りだと思っている。)
その点バレエ映画はアクチュアリティのかたまりのようなものだ。それがドキュメンタリーであれば勿論のこと、フィクションであっても作り手が語っている物語を何よりも理解して、伝えてくるわけだ。今作のベス・カーグマンも、山岸涼子も勿論バレエ経験者でその辛さも苦悩も、舞台で成功したときの喜びも知っている。ガヤのライバル心(この映画で最も素晴らしいシーンはガヤのダンス中の表情だろう)も、ミケーラの怪我、そして自分を信じられなくなる辛さも、あるいはジョアンの栄光さえも。そんな映画が素晴らしくないわけがないだろう。

同じ理由でサーフィン映画やスケボー映画も好きなのだろう。サーファー以外の撮ったサーフィン映画なんて見たことあるだろうか?
その中でもキングオブアクチュアリティはステイシー・ペラルタ(『ボーンズ・ブリゲード』『ライディング・ジャイアンツ』『ロード・オブ・ドッグタウン』)だと確信している。『ボーンズ・ブリゲード』の映画中、「ボーンズ・ブリゲード」の解散についてステイシー・ペラルタが泣きながら語る昔話が最高だ。「俺がボーンズ・ブリゲードを作った理由は、Z-BOYSで叶わなかった、一生続く最高のチームを作ること、ということをどうしてもやりたかったんだ。でもやっぱり無理だった。」と。それを30年後に当時のメンバーみんな集めて映画作って語ってしまうのだから、やはりステイシー・ペラルタほど愛すべき監督はいないんじゃないか、と思うのだ。

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先の「2012best」でも挙げたように、僕にとって、2012年は『わたしたちの宣戦布告』の年だった。
ボーイミーツガールからの結婚・出産、そして子供が難病だと知り立ち向かう同作は、その与えられる過酷な状況下にも関わらず、ロメオとジュリエット2人の夫婦の絆ゆえ、最後の砂浜・海にたどり着き、ハッピーエンドという形で物語は終結する。

だが、僕たち誰しもが経験があるように、男と女の物語の常は、ああうまくはいかないものである。
通常、あのような状況下では、協力が足りないと女性は男性に強く当たり、男性は女性のやつあたりに我慢を重ねる。やがて我慢も限界に達した男性は、たまった怒りを女性に放出する。一度は愛し合ったが、所詮は他人同士だったが故、夫婦と言う絆は、脆く崩れやすい。お互いを大切にし、支えあうことを忘れれば、それはまた別の形での物語の終結となるだろう。

前作がフランスでスマッシュヒットを飛ばし、アルノー・デプレシャンと並んでセザール賞ノミネートされた新鋭レミ・ブザンソン監督の『理想の出産』は、ボーイミーツガール、結婚、出産という流れまでは『わたしたちの宣戦布告』と同様の展開であるが、子供が難病でなかったところから話は変わり始める。支えあわねばならぬ必然性がないが故に、妻は出産が故にうまく立ち回らなくなった自分の私生活(友人関係や助教授としてのキャリアステップ)の矛先を、子供を通して夫に向けるだろう。世の男が皆そうであると同様に、夫も妻の気持ちを汲みとりきれず、最初は優しい・理解のある男性を演じているものの、いつしか限界が訪れる。これ以上は踏みとどまらなければまずい、そんなサインは何度もあったにも関わらず、落ち着いて考えれば誰よりも大切で愛している相手に対して、「君と一緒にいるのはもう無理だ」と激昂に身を任せ口に出してしまうだろう。

『ブルーバレンタイン』、『(500)日のサマー』、『ルビー・スパークス』がそうであるように、男と女の常はそういうものであり、一度そうなればハッピーエンドは幻想である。ラストシーン、2人は初めてデートしたカフェで、再会するだろう。その先の未来が明るいかは、誰もわからない。一度の人生失敗しないためにも、映画でしっかりと予習をし、いざそんなときが来れば、ロメオとジュリエットのように、僕たちは立ち振る舞いたいものである。

■関連記事
2012best
『わたしたちの宣戦布告』

こんにちは2013!さようなら2012!
締めくくりは今年公開の映画と今年聞いた音楽ベスト。

■映画
『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ、フランス)-フランス映画の復活に。
『Playback』(三宅唱、日本)-映画の未来を支える2人の男に。
『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八、日本)-映画館と屋上のシーンに。
『アルゴ』(ベン・アフレック、アメリカ)-ベン・アフレックの見せるリーダーシップに。
『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー、アメリカ)-愛すべきリスベットに。
『戦火の馬』(スティーヴン・スピルバーグ、アメリカ)-馬、馬、馬!そして空撮!
『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン、アメリカ)-これぞ、まさにウディと言わずにいられなさに。
『J・エドガー』(クリント・イーストウッド、アメリカ)-3人の俳優に。
『ダークナイト・ライジング』(クリストファー・ノーラン、アメリカ)-地への誇りと、愛情に。
『デンジャラス・ラン』(ダニエル・エスピノーサ、アメリカ)-次作が楽しみな監督の誕生に。

アメリカ映画さえあれば何もいらないと長らく思っているが、
2006年の『キングス&クイーン』(アルノー・デプレシャン)以来、久々にフランス映画返り咲き。ただ、ただ、感動した。そこには映画があった。
『Playback』はそのタイトルを記事で見るたびに追い、毎度感動を覚えた。三宅唱とムラジュン、この2人がいるから、映画の未来はまだ大丈夫だと思った。

また、新作ではないので上記からは省くが、
『合衆国最後の日』『カリフォルニア・ドールズ』(以上、ロバート・アルドリッチ)『シルビアのいる街で』(ホセ・ルイス・ゲリン)『白夜』(ロベール・ブレッソン)という人生のベスト級の作品たちを劇場で見ることができたことが、なによりも嬉しい一年だった。

■関連記事
『わたしたちの宣戦布告』
『Playback』
『桐島、部活やめるってよ』
『アルゴ』
『ダークナイト・ライジング』

■音楽
THA BLUE HERB『TOTAL』-一番聞いた。毎日勇気をもらった。
DJ BAKU『POPGROUP presents, KAIKOO “Human Being”』
 -音楽の潮流はKAIKOOから始まるのではと信じて疑わなかった。DJ BAKUを大いに尊敬した一年だった。
Dr. Oop『Black Love Oriented』-夜、考えことをしながら一人聞いていた。お洒落さに身を任せたくなった。
YAKENOHARA『Step on the heartbeat』-ハートをビートした。
The Streets『Original Pirate Material』-ストリーツってこんなかっこよかったのかとおののいた。
Atmosphere『God Loves Ugly』-相変わらずすげーかっこよかった。
LUVRAW & BTB『ヨコハマ・シティ・ブリーズ』-夏に楽しい気分になりたいときによくかけた。
七尾旅人『リトル・メロディ』-悩んで前に進めなくなったとき「サーカスナイト」聞いて、より前に進めなくなった。
柴田聡子『しばたさとこ島』-忘れ得ぬ思い出となった金沢の夜だった。
Jack Johnson『To The Sea』スケボー、サーフィン、ジャック・ジョンソンとばかり口走る夏だった。

ヒップホップとスケボーさえあれば何もいらないと思った一年。

本日は仕事納めでした。1年間お疲れさまでした!

 

ほんとに悩み抜いた4月~10月。11月、12月、自分と向き合い、人生のことを真剣に考え抜いて、少なからず僕の人生にとって大きな決断をいくつかして、だからこそ最後の1か月は充実して終えられた。自分とここまで向き合えた、その意味で辛かったけど、とても重要な1年になったな、と思う。

 

人生のことばかり考えているとはいえ、映画を観ていなかったわけでは勿論なく(やっぱり僕にとって映画がなによりも大切だと気づいたこともあるし)。あなたの好きな映画を10こあげて、と問われてもランクインするであろう映画に数本も出会えていた。いつか何か書こうと思ってとってはおいたが、多分もう書かなそうなので、ここで羅列する。というわけで最近見た映画たちです。見た順に。

 

『5windows』(瀬田なつき)
『白夜』(ロベール・ブレッソン)
『さすらいの女神たち』(マチュー・アマルリック)
『キック・アス』(マシュー・ヴォーン)
『カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ)
『ザ・ウォード/監禁病棟』(ジョン・カーペンター)
『ステップアップ4レボリューション』(スコット・スピアー)
『遠距離恋愛 彼女の決断』(ナネット・バースタイン)
『トータル・リコール』(レン・ワイズマン)
『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(マルコ・ベロッキオ)
『合衆国最後の日』(ロバート・アルドリッチ)
『ボーンズ・ブリゲード』(ステイシー・ペラルタ)
『刑事ベラミー』(クロード・シャブロル)
『トスカーナの贋作』(アッバス・キアロスタミ)
『ルビー・スパークス』(ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス)
『恋のロンドン狂騒曲』(ウディ・アレン)

 

そろそろ年間ベスト10の季節だが、旧作も入れてもよいというならば、『合衆国最後の日』が一番よかった。ここに僕の憧れる男像がすべてあった。丁度政治とか選挙とかあったしね。アルドリッチが続けて見れたことに感謝。ほぼ並んで、『シルビアのいる街で』『カリフォルニア・ドールズ』『白夜』。そして新作が来るという一年だった。


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さて冬休み。この時間を有意義に使おう。

ヴィム・ヴェンダース。そのシネアストは僕にとってずっと特別な存在だった。

僕たちのような、映画の魅力に囚われてしまった人種というのは、みな、どこかで自分の「人生を変える映画」と出会っている。お互いが映画好きだわかると、自己紹介がてら、あるいは話題が尽きかけたとき、その映画は何だったという話になる。たとえばウディ・アレンの『アニー・ホール』、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』、あるいはトリュフォーの『大人は判ってくれない』が、皆のそれであるように、僕の「人生を変える映画」は、ヴェンダースの『パリ、テキサス』だった。息子、ハンター君が、T字路で「右だよ」と言ったときから、僕はすっかり映画の魔力にやられてしまった。

『パリ・テキサス』は、ビデオでも、数少ない劇場上映でも、中学生でほとんどお小遣いなんてない時分、それでも観られる機会があれば駆けつけたし、ヴェンダースの他の映画も貪るように観た。『ベルリン天使の詩』『アメリカの友人』『都会のアリス』、決して孤独ではない彼のロード・ムーヴィーに夢中になった。ヴェンダースの『東京画』を観て、小津のことを初めて知ったくらいなので、彼は僕の映画の先生でもあったのだろう。

しかしヴェンダースの長い旅にも終りが来る。5カ国でロケが行われ、近未来ロードムーヴィーと歌った『夢の涯てまでも』以降、テクノロジーに埋没する。それまでヴィデオでしか見れなかった彼の映画を、ようやく同時代的に、劇場で観ることができた『ミリオンダラー・ホテル』はしかし、僕が一方的に憧れつづけたヴェンダースではなかった。その後、『ランド・オブ・プレンティ』という短時間で撮り上げた小作は悪くなかったが、『アメリカ、家族のいる風景』で、僕は、かつて最も愛した彼を追うことを止めた。

 

新作公開も、劇場に向かうこともしなくなった僕だが、約7年ぶりに彼の映画を観ることになった。観ている途中からほとんど涙が止まらなかった。僕は、『パリ・テキサス』以降のヴェンダース作品において、これほど心を揺さぶられたことはなかった。

この映画において、ヴェンダースは、自身を、主人公の写真家フィン(カンピーノ)に投影する。ヴェンダースがそうであったように、この主人公フィンは、テクノロジーに囚われ、次第に凋落していく自分に気づいている。

ヴェンダース×フィンに留めを差すのは、かつてのヴェンダースと共に素晴らしいロード・ムーヴィーを作り上げたデニス・ホッパーだ。死神として登場した彼の弓に撃たれキャメラ×カメラは、二度と撮れない状態になる。さらに、ヴェンダースは、デニス・ホッパーに「デジタルは実在しないことと同じだ」と言わせてみせる。フィルムで撮り上げながら、デジタル加工を躊躇なく施したこの映画においてだ。

そう、『パレルモ・シューティング』はヴェンダースの遺書である。彼は、自身の遺書を、紙ではなく、愛したフィルムに彫った。ヴェンダースはこの映画で一度死ぬことを選んだのだ。

しかし、そのラストシーンはどうしたって明るい。フィンの表情を観るかぎり、俺はまた、生まれ変わる、という決意のようにも見えるのである。

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1週間ほど海外、バリ満喫してきました。ほんと毎日超楽しかったー。

いくつかのよかった経験について

Alila villas Uluwatu というかつて経験した中で、そしてこれから泊るであろう中でもこれ以上はないってくらい素敵なホテルに泊まれたこと。断崖絶壁に立つロケーションは勿論だけど、リッツカールトン東京か、ここかという圧倒的なサービスレベルと僕らの期待値を一歩上回る驚きを提供してくれる。

アメニティはホテル独自ブランドで約20種類(日焼け止めだけで3種類。笑)/しかも毎日新しいアメニティが部屋に備え付けられる/レストランで席に座るとお搾りと共に、ミスト・虫よけ・日焼け止めが必ず提供される/レストランはコンプリメンタリーサービスで10種のディップ付きの前菜/毎日1時間のヨガが無料で受けられる/移動はすべて専用クラブカー/写真は絶対2回撮ってくれる/1万円スパが無料で受けれる/記念日に部屋に戻ると花束と30このキャンドルが灯されてお祝い/部屋でトイレットペーパーがちょっと使っただけなのに毎日取り換えられる/シャワーが7方向から出る/iPodが部屋にセットされてる/1日2回のルームメイキング/etc

1泊1.5万円でプライベートプール付き200㎡のヴィラに泊まれるバリなのに、1泊7万円したけれど。また10年後とかに泊まりたいなー。

 

・向こうでどんどん円が下がっていく経験。初日の両替レートが122円くらいだったのが最終日117円くらいになった。何か日本あったのかと思ってたら衆議院解散とかトヨタの過去最大級のリコールとか、森光子が亡くなったりとか色々あったみたいで。円の価値と言う基準/面白い立ち位置で日本の動きを見れたので、それはいい経験だった。

・あと向こうのかっこいい服と出会い、まだ手の付いていないブランドの仕入れとか面白そうだなとちょっと本でも読みたくなったり。いくつになっても興味の幅を広げられ続ける人でありたいなあ、と。

 

さてしばらく日本にいなかったので、見たい映画(『危険なメソッド』、『合衆国最後の日』、『ハハハ』、『映画と恋とウディ・アレン』、『声をかくす人』勿論『Playback』をもう1回)がたまっていて、今日は渋谷へ!という計画だったけれど、ものすごい雨に外に出る気を奪われたので、最近見たけど書くことをさぼっていた映画評について少しずつ書くことにでもしようかなと思います。ではでは。

いまさら言うまでもない、な話ではあるが、最後に、もう1度だけ言っておこう。

人類が生まれて数千年、全く変わらない、そう、「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックスだ」。ザッツオール。それがすべて。そこには文学も、ロックンロールも、当然映画なんてものも必要ない。それが本当に全てなのだ。(こう言うと凄い反感を受けるかもしれない。だが言っておこう。いまピクっと神経を動かし、それは違うだろ、と思った人、すべからく敗者である。負け犬である。そう、僕も含めて。)

兎に角、『CLAZY STUPID LOVE』というイケイケな原題を持つ『ラブ・アゲイン』という映画がサイッコー(ダブルEでカッコE!という言葉を思い出すね)なのは、この映画において、ザ・スミスも、フィッツジェラルドも、ジャック・ケルアックも、タランティーノも、あるいはイーストウッドも登場しないからだ。そうバラ色の人生において、固有名詞なんて不必要。「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックス」、この信念のもと突き抜けまくったものこそ勝者なのである。

恋と愛、そしてS・E・X(それで隠語にしているつもり!という奥さんのツッコミがこれまた最高)。120分の間、それだけを描き、他に一切ぶれない、ある意味徹底的にラブストーリー。突き抜けているからこそ、ああ、一体「電話」を使ったシーンでここまで美しかったシーンがこの映画史100年において見たことあるだろうか、と叫ばざるにいられない元妻と元夫の一枚の窓越しの会話に僕らは感極まってしまうわけだし、2つの恋と2つの愛が見事に絡まりあうシチュエーションが実現する、庭でのはちゃめちゃ家族パーティが成立してしまうのだ。(キング・オブ・コメディとはこういうものだったのか!映画史なんて知らなくても脚本さえ面白ければいいじゃん!とムカつく笑みを見せる監督の顔が思い浮かぶようだ。ファック!)

悔しいーけど極上エンターテイメント、すなわち映画。あああもう今すぐもう一回見たい!その理由のひとつとして、アメリカ産市川美和子、アナリー・ティンプトンに一目ぼれしてしまったこと、というのは今さら隠す必要もないだろう。

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試写会にて、一足先にベン・アフレック新作『アルゴ』を見た。

既にベン・アフレックの恐るべきデビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』や長編第二作『ザ・タウン』を見てしまった僕たちであれば、ベン・アフレックがいまや現代アメリカ映画を代表する映画監督だと十分にわかっているだろうし、彼の新作がいわゆる傑作だったとはいえ、「さすがベン。俺の認めた男だぜ。彼ならこれぐらい撮ってくれると思ってた。」などと言って、終わりに出来たかもしれない。

しかし、彼の新作『アルゴ』は、ベン・アフレックが僕らの想像の範疇を既に超え、「ベン、君こそ世界最強の映画監督だよ。イーストウッドを超えてしまったよ」と言ってしまいたくなるほどの誘惑にかられる、信じられないほどの大傑作だ。いま、誰かが僕に「今年最高に良かった映画を3つあげて」なんて質問をぶつけてこようものなら、大興奮のうちに、「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」と答えてしまうだろう。

『アルゴ』が他のアメリカ映画と比べ抜きんでているのは、この映画が『國民の創世』以来、何万本も撮られただろう「ラスト・ミニッツ・レスキュー」の最高峰でありながら、同時に単なる「最後の瞬間の救出」映画に終わらない点だ。

この映画は、「ヒロインが殺されそう」になったときに突如クモにかまれた故にスーパーパワーを得たヒーローが現れ彼女を守ったりもしないし、「銃を突きつけられ、もう絶望だ、助かる道はない」と思ったときに、資金を持つが故テクノロジーの最先端を駆使し愛する街を守ろうとするヒーローが登場して皆を救うこともない。あるいは、暴走列車を止めるために、長年の知識と技術を持った男が、まさに英雄と呼ぶにふさわしい勇敢さを見せるわけでもない。
これまでの「ラスト・ミニッツ・レスキュー」を演出した者たちを「ヒーロー」と呼ぶのであれば、ベン・アフレック演ずるこの物語の無口な主人公は、決してヒーローとは呼ぶべきではないだろう。スーパーパワーを持つわけでもないし、テクノロジーを駆使するわけでもない、何か飛び抜けたものを持っているかと聞かれても答えに窮するだろう。

もっと言うなれば、ベン・アフレックは映画の中で何をするわけでもない。映画を観る前から誰もがその結末を予感している通り、当然、最後にイランから無事脱出に成功するわけだが、しかし、ベン・アフレックは直接的にそれに貢献は何もしていない。正確には「ニセSF映画の撮影をしてるふりをしよう」と思いつき、提案したのは彼だが、それ以外の目立った功績はない。活躍するのは、6人のメンバーひとりひとりだし、むしろ、最初は「ニセ映画の撮影なんて俺は絶対ノラないぞ」と言っていた眼鏡の男が、最後には交渉術で敵を丸めこみ、一番活躍を見せるくらいだ。(イラン語のわからないベン・アフレックはそのときただ黙っているのみだ)

活躍をしないわけだから、当然、彼は目立たない。ニセ映画のスタッフとしても「制作補」?という微妙な位置づけだ。結果、対外的には6人の外交官を救出した功績はカナダにすべて持っていかれ、CIAにおける最高の名誉であるスター勲章を与えられたベン・アフレックは、しかし自分の子供にもそのことを告げることは許されない。それどころか、一度与えられた勲章すら、すぐに取り上げられることにもなってしまうだろう。決して彼は、目立つヒーローになることは許されない。

しかし、だからこそ、この映画は単なる「ラスト・ミニッツ・レスキュー」に収まらない。すなわち、ヒーローがその圧倒的な力で敵をなぎ倒す物語「ではなく」、ある人物に出会った者たちが、こいつを信じて、こいつのために頑張ろうと思い、皆で難関を解決する、そんな「リーダーシップ」の物語なのである。彼のために、みな架空の設定を一生懸命覚え、練習する。ニセ映画なんて絶対に参加しない、と言っていた男が、変化する。彼のために、国務長官、CIA長官、果ては大統領でさえ動くであろう。

我々は、この映画におけるベン・アフレックの姿を見て、もはや当の昔に忘れていた「リーダーシップ」という言葉を一体いつぶりか思い出す。アメリカも日本も、政治や企業、どこを見回してもリーダーシップなんてなくなってしまった、そんな時代を救おうとする、「ラスト・ミニッツ・レスキュー」なのである。

『アルゴ』(ベン・アフレック)は2012年10月26日より全国ロードショー。

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『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(ベン・アフレック)