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『きっと ここが帰る場所』を見た。

時折興奮のシーン(プールで素手クリケット?してみたりだの)はありつつも、わりと前半とか眠いなーという印象で、あーこれはほとんど予想通り残念かな、と思ったのだけど、しかしまあ尋常じゃないいいシーンがたまにあって、それがエンドロールも含めて計三度(だったと思うけど)流れる、『This must be the place』の二度目in the レイチェルハウスでもう一生このシーンを見ていたいと思うほど素晴らしくて素晴らしかった。そしてレイチェル(ケリー・コンドン)が死ぬほどかわいい。

勿論デヴィッド・バーン本人が自ら歌う一度目も素晴らしくて、それはもう言わずもがな思い出ヘビーシックな、僕があれから5年か6年たつ今でも一番好きな映画は、という質問には「『ストップ・メイキング・センス』というトーキング・ヘッズのライブドキュメンタリー映画です。」と即答している人生史上最高の映画体験が思い出されるからで、いきなりにゅっと白髪のデヴィッド・バーンがが現れる瞬間からもう「考えることをやめろ!」と言い聞かせられ、横一列に並んだなにかこう懐かしい(あの黒人、例の黒人と同じなんじゃないかと勘ぐってみたり)、そして最後、デヴイッド・バーンたちが見切れる前、なぜか前屈体制になるところとかもう感情が抑えきれず、文字通りドバッと涙が溢れ出た。結果的にはとてもよかったのではないかと思っています。

最後に『ストップ・メイキング・センス』を見た当時の自分のブログをセルフ引用してお別れしてみるけど、ほんとにあの瞬間の2006年11月30日渋谷/ユーロスペースに戻りたい。僕にとって、きっとあそこが帰る場所なんじゃないかとうまいこと言ってみる。

奇跡的な映画を見てしまった。

トーキング・ヘッズのライブ・ドキュメンタリーストップ・メイキング・センス』はライブ・ドキュメンタリー史上最高の傑作であり、伝説になるべき映画だ。冒頭、デヴィッド・バーンが登場し、足下にラジカセを置く。彼はたったひとりギターを弾き始める。僕はその音が始まった瞬間、息を飲む。曲が進むに連れて徐々にメンバーが登場し、トーキング・ヘッズの全員が揃ったときから映画館は奇跡となる。

トーキング・ヘッズがスクリーンでプレイしている姿は、もはやライブではない。これをライブ・ドキュメンタリーという枠にくくるにはあまりにも不相応で、それはこの映像がまさしく映画であるからだ。どう言っていいのだろうか、とにかく、完璧なのだ。一瞬たりとも隙がない完璧な映画なのだ。カメラの枠が取っ払われてしまえばいいと思うことがあるだろう。逆にこの映画は、あの長方形の枠が完璧に決まる。全てのショットがパーフェクトで、僕らは隙を探そうとするが、全く見つからない。つまり映画の向こう側に行く隙が存在しない。僕らはこちら側でただ眺めるだけ。

この映像がライブではなく、映画であるとはどういう意味か。それはトーキング・ヘッズがこの映像から徹底的に不確実性を排除してしまったということである。ライブには不確実性というものが絶えずつきまとう。レコーディングではない。やり直しは不可能。バンドはライブ会場で、その場の雰囲気で、ライブスタイルは全て変わる、これは当然のことだ。例えばツアーでライブを10回やるとする。その10回のライブは不確実なもので、毎回動きや音に変化があるということである。

だが、トーキング・ヘッズはこの映画中に不確実性の片鱗すら見せない。つまり「メンバーの全員が、他のメンバーが、誰がどこでどのような音を出し、どのように動くか」「それに合わせ自分自身がどのような音を出し、どう動くべきか」を完全に把握してしまっているのである。そこには完全なる調和が発生する。全員の動きが緻密に計算され、円周率のごとく美しく絡み合う。100回のリハーサルでもこれほど完璧にお互いが調和して動くことは不可能であり、それはもはやライブとは言えず映画と同義(もちろん映画にも不確実性は大いに存在する)なのだ。もはやトーキング・ヘッズはこの映画を作るためにライブをやっているのではないか、と言える程に。その確実さにカメラも呼応する。最高のポジションから最高のショットを1時間半の間常に提供する。もはや奇跡の瞬間である。

無意味な行為だとわかってはいるが、今年の傑作映画に例えてみると、いかに凄いかわかりやすいかもしれない。間違いなくこの映画は、1時間半もの間、一瞬も途切れることなく『百年恋歌』の第1部と同じくらい美しく、『父親たちの星条旗』よりも緊張感に溢れ、『ウォーク・ザ・ライン』の刑務所ライブよりも僕らは涙を流させることになるだろう。トーキング・ヘッズこそ最高のライブバンドである。僕は二度と彼らの曲をiPodでは聞けないだろう。

僕の頭でこの映画について語るには、あまりにもボキャブラリーが不足しており、全く伝わってないと思う。申し訳ないです。とにかくこんな無駄な説明はせずにただ「やばい」とだけ言った方が良かっただろうか。もし日本最終上映のこの映画を映画館で見る機会が今後存在したならば、絶対に何があっても見て頂きたい。難しいことだとは思うが、バウスでいつか爆音上映されることを心から祈っている。いや、いつか俺が上映してやろうか…

それはいつも通り友達とだらだらして12月だよやべーとか言っていて、7限の授業に行こうと思ったときのこと。僕はトイレに寄った。すると偶然、映画サークルに所属している後輩K(同じ授業をとっている)に会う。僕が授業に行こうとすると、「僕、いまからトーキング・ヘッズのライブドキュメンタリー見に行くんですけど一緒に行きませんか?今日最終回ですよ」、と。迷ったが、彼はこう続ける「Fくん(うちの大学1のシネフィル)が伝説だって言ってるんですが…」そう言われたら行かざるをえないでしょー。なんか最近Fくんはまた進化したようで1日3、4本映画館で見て、家帰って1本見るって生活を毎日続けているらしいとか。びびるわ。

そんでユーロスペース行って、もうとにかくぶっ飛ぶ。言葉を失い、息を飲む。Kも俺も上映中身体ががんがん動く。あまりのカメラの決まりぶりに感動したのがエンドロールで納得。カメラ6台。アシスタント各2人。カメラだけで18人使ってる。上映後、二人とも「やばい」としか言えず、もう他に全然言葉が出てこないくらい感動して、でも色々上で言おうとしたけどやっぱ「やばい」のが合ってる気がする。ふだんそんなこと言わなそうなKでさえ「この映画見てない映画サークル員全員死ねばいいのに」という発言まで出るくらい。二人とも受付で迷わずDVDを購入。DVDじゃ全然魅力伝わらないと思うけど、まあずっと大切にします。映画最高。

まあタイトル通りなんだけどめっちゃイケてるから拡散。というか映画系でここまでまともな割引とかやった会員証なかったのでは、と。というわけで早速会員になってみました。年会費1,000円。

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「いさぎよい」映画だ。『サウダーヂ』を見終わってまず、そう感じた。

90分でやりたいことやって、撮りたいもの撮って、いさぎよく終える、それこそ映画の理想形だ、とすら思っている僕にとっては(あるいは一般的な人々にとっても)ペドロ・コスタの映画に足が向かないこと同様、ほとんど3時間近い尺のあるこの映画へのハードルは高かった。

昨年、公開当時も、長尺についに映画館に足が向かわなかった。映画をDVDで初見することのを愚かしさは十分に知っているにも関わらず、ツタヤでいいか、なんて思った自分を罰してなのか、35mmフィルム以外の上映はしない、と聞いた時は、自分の不節制を、半年近くも後悔することになった。

だから、オーディトリウム渋谷で再上映をする、と知った時は、胸が躍った。そして今日渋谷にてついに映画を見ることができた、それ自体がとても幸せである。

167分という上映時間がまるで嘘みたいに、まだまだ見ていたいと思った。きっと理由はこの映画の「いさぎよさ」にあるのだと思う。

全編に渡って、数多くのギャグシーンが散りばめられている。そのほとんどがたった10~30秒ほどの短いシークエンスで、シーンとシーンと間に突然挿入され、何事もなかったかのように次のシーンに続く。それが全く冗長でなく、飽きがこない。(冗長なギャグシーンほどうんざりなものはない)

更に、167分という時間が嘘のように、ひとつひとつのシーン/シークエンスもほとんど3分程度で構成され、さくさくと次の場面に進む。かといって僕たちがもっと見ていたいと思っているシーンについては切るような野暮な真似はしないで、じっくりと見せる。(例えば、はじめてのアーミービレッジのライブ/商店街でひとりラップする田我流/シンナーか何かを吸いまわすセイジとビン)

扱うテーマはどうであれ、全くもって面白い『サウダーヂ』。今後のDVD化もしないのでは、と思っているので、もし未見であればいますぐ渋谷に急ぐべし。

オーディトリウム渋谷にて上映中 http://a-shibuya.jp/archives/2023

今朝Facebookを開いて、少し顔をにやつかせた。あれから4年が経ち、「はてな」という形は変えど、それぞれがまた書いている記憶がよみがえる。

かつてお互いを高めあった関係、親密さ。いや、僕は一方的に2人に高められた、という言い方の方が正しいかもしれない。アテネ・フランセやシネマヴェーラにいけば彼ら(+1)に偶然会わない方が珍しかった。

昨夜はほとんど眠ることは叶わなかった。3連休で寝すぎたからだろうか。違う。久々に身体の底から熱いなにかが湧き出てきて、全く目が冴える。LES MISTONSとかめでたいとか、違うんだ。かつてのような責任、義務、やらなければとはちょっと違う、したいんじゃん、という感情。ドキドキして眠れなかった。

そして、今日いつもの日課で友人のブログのURLを叩けば、まるで同じようなことを同じようなタイミングで考えている。思わず僕もtumblrを開き、誰が読んでもよくわからない、この青臭い文章を書くのだろう。

この三連休は少しは出かけはしたものの、映画もスクリーンで1本、家で1本を見た程度で、ほとんど家で過ごすことになった。渋谷にでも出れば、フィリップ・ガレルの新作を見ることもできるし、何度見ても再鑑賞の度に驚きや新たな発見をするだろう、ワイズマンやウディ・アレンの新作が上映されているにも関わらずだ。

その唯一の理由と言えば、蓮實重彦の『映画時評2009-2011』がAmazonから届いたから、であることは言うまでもない。

この三日間は、それが二十一世紀を生きる僕たちにとって、ほとんど唯一の娯楽であるがごとく、その本のページをめくり続け、「映画」という名の奇蹟を噛み締めることになった。

蓮實の文章をこれほどしっかり読むのは、自分の記憶を辿ったり、自分の読んだ本のノートを見る限り、大学生以来のことのようで、当時は授業中、映画狂人シリーズを読んではビデオ屋で未見の映画を探し、未読の彼の書をたまたま古本屋で見つければ、テスト時間も投げ打って教室で読んでいたことを思い出す。僕の「教育者」は、教壇に立つ名前もおぼろげなお爺さんより、蓮實重彦だった。

ほとんど五年ぶりに彼の文章に触れ、その文章の自信に満ちた力強さ(「想起しない人はいない」と言われ、それを想起しなかった当時の自分を恥じてみたり)、煽動力(『アバター』ですら楽天レンタルで借りてしまった!)を前に、かつて映画だけあれば人生を満たされる、と信じてやまなかった自分がフラッシュバックするのだ。

彼が取り上げる映画は、当然その書のタイトル通り、「2009-2011年」に撮られた新作についてである。だが、そのほとんど全ての文章に「二十一世紀」というキーワードが入り、そして、その二十一世紀の映画の存在を常に否定した上で、語られる。

たとえばジョニー・トーの活劇に満ちた素晴らしい小作『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』について、本書でのインデックスは『よくできたごく普通の映画の二十一世紀には稀な貴重さについて』とあらわされることはわかりやすい部分だし、かつて蓮實の文章を読んだことがある人は、彼が決して好意をもっていなかった二十世紀を代表する映画作家ジョン・カーペンターに、二十一世紀においては、ほとんど彼のような作家は残っていない、と語っていることに驚くだろう。

僕たちの世代がまともに映画と向き合い始めたのは、ほとんど二十一世紀である。過去「遅れてしまった感」を持って二十世紀の映画を見続けたことがある人で、蓮實のような「教育者」にこう語られれば、きっと二十一世紀に生まれたことを悔やみ、そして「遅れてしまった感」を強めるだろう。

蓮實の意図はなんだろうか。僕らは、最後にあとがきを読み、身震いするだろう。彼はあくまで僕たちの「教育者」であることに気づくのだから。

2012年、約半年が過ぎ、映画の豊作の年だなあと、僕のマイベスト豊作の年は2006年だったのだが、それを上回っているのではないか、幸福の限り。

ほんと最高によかったなあと思うのを挙げてみるだけで、『CUT』『ドラゴン・タトゥーの女』『戦火の馬』『アーティスト』『ミッドナイト・イン・パリ』『クレイジーホース・パリ』『ソウル・サーファー』といった具合だし、

この先のこと考えてみても、『灼熱の肌』『ダークナイトライジング』『屋根裏部屋のマリアたち』『テイク・ディス・ワルツ』(新作ではないが『サウダーヂ』)あたりは間違いなくやばいだろうし、

危うい気もするけど、『きっとここが帰る場所』『ファースト・ラブ』『わたしたちの宣戦布告』、秋に控えるウディ・アレン、キアロスタミやベン・アフレックの新作まである!

言わずもがな三宅唱の『playback』がいよいよ見れるとあれば。やあ、なんて豊作年。

蓮實の『映画時評2009-2011』を読んでいていま半分くらい。やっぱり蓮實はなんという魅惑的な文章書くのでしょう。

『アンストッパブル』の項読んで、やあ懐かしい面白かった記憶しかない!さあ『ヒアアフター』、というところでどうにも我慢できなくなって、レンタルビデオ屋に急ぎ、『アンストッパブル』レンタル。相変わらず面白かった。

そのあとに『ファンタスティックMr.FOX』の項読んだら、ほんと絶賛で、一部引用する。

これから書くことの大半は、まだ醒めてもいない夢の中での心の震えをあられもなく綴った言葉でしかあるまいから、とるにたらぬ世迷いごととして信じてもらえなくたって一向にかまわない。そのことは充分すぎるほど自覚しているつもりだが、何をおいてもこれだけは断言しておく。

ウェス・アンダーソン監督の『ファンタスティックMr.FOX』(二〇〇九)は、過度の誇張や大言壮語のかぎりを尽くしてでも誉めずにはいられない二十一世紀ではきわめてまれな作品にほかならない。傑作か否かを問う以前に、それが存在していること事態を僥倖として受け入れるしかない貴重な作品だといってもよい。

僕が近年見逃した作品の中で、後悔しまくった作品のワンツーは『サウダーヂ』と『ファンタスティックMr.FOX』で、『サウダーヂ』は来週から渋谷で上映とのことなのでああ神様とのばかりで、しかし『ファンタスティックMr.FOX』を映画館で観れることはほとんどないのだろう、と。

予定表には何度も書いておきながら足を運ばなかった当時の自分の不節制を悔やむしかない。

朝早く起きて『ソウルサーファー』。バルト9。

ジャック・ジョンソンばかり聞いていたお年頃で、映画はサーフィンとスケボーだと思っているくらいなのに、『ソウルサーファー』はほとんど上映終了間近で焦って、駆け込む。

全くの予想通りの展開だけど、全編通してほとんど泣いてた気がする。

映画を見るとは「俳優を見ること」と誰か彼かが言ってたけど、ベサニーもおとんもおかんも素晴らしく、はじめて腕失って波に立った瞬間なんて、ほとんど嗚咽のような泣き声を挙げて、映画館でガッツポーズをしたものだ。

最高。

ベルギービール3種。どれもはじめて飲む。

1本目:orval

有名だけど飲んだことなかった。

重厚な味わい。好き。

2本目:PECHERESSE

通称”ピーチ”。信じられないくらい甘いのに、鬱陶しくない。

2本目に丁度良い。

3本目:Leff Blonde

〆は重めで。

隣に座ってた人と仲良くなり、

気づくと朝3時まで飲んでました。

一人ビアバーに完全にはまってきている。