daichitanaka のすべての投稿

さて冬休み。

本日は仕事納めでした。1年間お疲れさまでした!

 

ほんとに悩み抜いた4月~10月。11月、12月、自分と向き合い、人生のことを真剣に考え抜いて、少なからず僕の人生にとって大きな決断をいくつかして、だからこそ最後の1か月は充実して終えられた。自分とここまで向き合えた、その意味で辛かったけど、とても重要な1年になったな、と思う。

 

人生のことばかり考えているとはいえ、映画を観ていなかったわけでは勿論なく(やっぱり僕にとって映画がなによりも大切だと気づいたこともあるし)。あなたの好きな映画を10こあげて、と問われてもランクインするであろう映画に数本も出会えていた。いつか何か書こうと思ってとってはおいたが、多分もう書かなそうなので、ここで羅列する。というわけで最近見た映画たちです。見た順に。

 

『5windows』(瀬田なつき)
『白夜』(ロベール・ブレッソン)
『さすらいの女神たち』(マチュー・アマルリック)
『キック・アス』(マシュー・ヴォーン)
『カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ)
『ザ・ウォード/監禁病棟』(ジョン・カーペンター)
『ステップアップ4レボリューション』(スコット・スピアー)
『遠距離恋愛 彼女の決断』(ナネット・バースタイン)
『トータル・リコール』(レン・ワイズマン)
『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(マルコ・ベロッキオ)
『合衆国最後の日』(ロバート・アルドリッチ)
『ボーンズ・ブリゲード』(ステイシー・ペラルタ)
『刑事ベラミー』(クロード・シャブロル)
『トスカーナの贋作』(アッバス・キアロスタミ)
『ルビー・スパークス』(ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス)
『恋のロンドン狂騒曲』(ウディ・アレン)

 

そろそろ年間ベスト10の季節だが、旧作も入れてもよいというならば、『合衆国最後の日』が一番よかった。ここに僕の憧れる男像がすべてあった。丁度政治とか選挙とかあったしね。アルドリッチが続けて見れたことに感謝。ほぼ並んで、『シルビアのいる街で』『カリフォルニア・ドールズ』『白夜』。そして新作が来るという一年だった。


さて冬休み。この時間を有意義に使おう。

ヴェンダースの死と再起『パレルモ・シューティング』

ヴィム・ヴェンダース。そのシネアストは僕にとってずっと特別な存在だった。

僕たちのような、映画の魅力に囚われてしまった人種というのは、みな、どこかで自分の「人生を変える映画」と出会っている。お互いが映画好きだわかると、自己紹介がてら、あるいは話題が尽きかけたとき、その映画は何だったという話になる。たとえばウディ・アレンの『アニー・ホール』、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』、あるいはトリュフォーの『大人は判ってくれない』が、皆のそれであるように、僕の「人生を変える映画」は、ヴェンダースの『パリ、テキサス』だった。息子、ハンター君が、T字路で「右だよ」と言ったときから、僕はすっかり映画の魔力にやられてしまった。

『パリ・テキサス』は、ビデオでも、数少ない劇場上映でも、中学生でほとんどお小遣いなんてない時分、それでも観られる機会があれば駆けつけたし、ヴェンダースの他の映画も貪るように観た。『ベルリン天使の詩』『アメリカの友人』『都会のアリス』、決して孤独ではない彼のロード・ムーヴィーに夢中になった。ヴェンダースの『東京画』を観て、小津のことを初めて知ったくらいなので、彼は僕の映画の先生でもあったのだろう。

しかしヴェンダースの長い旅にも終りが来る。5カ国でロケが行われ、近未来ロードムーヴィーと歌った『夢の涯てまでも』以降、テクノロジーに埋没する。それまでヴィデオでしか見れなかった彼の映画を、ようやく同時代的に、劇場で観ることができた『ミリオンダラー・ホテル』はしかし、僕が一方的に憧れつづけたヴェンダースではなかった。その後、『ランド・オブ・プレンティ』という短時間で撮り上げた小作は悪くなかったが、『アメリカ、家族のいる風景』で、僕は、かつて最も愛した彼を追うことを止めた。

 

新作公開も、劇場に向かうこともしなくなった僕だが、約7年ぶりに彼の映画を観ることになった。観ている途中からほとんど涙が止まらなかった。僕は、『パリ・テキサス』以降のヴェンダース作品において、これほど心を揺さぶられたことはなかった。

この映画において、ヴェンダースは、自身を、主人公の写真家フィン(カンピーノ)に投影する。ヴェンダースがそうであったように、この主人公フィンは、テクノロジーに囚われ、次第に凋落していく自分に気づいている。

ヴェンダース×フィンに留めを差すのは、かつてのヴェンダースと共に素晴らしいロード・ムーヴィーを作り上げたデニス・ホッパーだ。死神として登場した彼の弓に撃たれキャメラ×カメラは、二度と撮れない状態になる。さらに、ヴェンダースは、デニス・ホッパーに「デジタルは実在しないことと同じだ」と言わせてみせる。フィルムで撮り上げながら、デジタル加工を躊躇なく施したこの映画においてだ。

そう、『パレルモ・シューティング』はヴェンダースの遺書である。彼は、自身の遺書を、紙ではなく、愛したフィルムに彫った。ヴェンダースはこの映画で一度死ぬことを選んだのだ。

しかし、そのラストシーンはどうしたって明るい。フィンの表情を観るかぎり、俺はまた、生まれ変わる、という決意のようにも見えるのである。

帰国しました/バリ旅行でよかった経験について

1週間ほど海外、バリ満喫してきました。ほんと毎日超楽しかったー。

いくつかのよかった経験について

Alila villas Uluwatu というかつて経験した中で、そしてこれから泊るであろう中でもこれ以上はないってくらい素敵なホテルに泊まれたこと。断崖絶壁に立つロケーションは勿論だけど、リッツカールトン東京か、ここかという圧倒的なサービスレベルと僕らの期待値を一歩上回る驚きを提供してくれる。

アメニティはホテル独自ブランドで約20種類(日焼け止めだけで3種類。笑)/しかも毎日新しいアメニティが部屋に備え付けられる/レストランで席に座るとお搾りと共に、ミスト・虫よけ・日焼け止めが必ず提供される/レストランはコンプリメンタリーサービスで10種のディップ付きの前菜/毎日1時間のヨガが無料で受けられる/移動はすべて専用クラブカー/写真は絶対2回撮ってくれる/1万円スパが無料で受けれる/記念日に部屋に戻ると花束と30このキャンドルが灯されてお祝い/部屋でトイレットペーパーがちょっと使っただけなのに毎日取り換えられる/シャワーが7方向から出る/iPodが部屋にセットされてる/1日2回のルームメイキング/etc

1泊1.5万円でプライベートプール付き200㎡のヴィラに泊まれるバリなのに、1泊7万円したけれど。また10年後とかに泊まりたいなー。

 

・向こうでどんどん円が下がっていく経験。初日の両替レートが122円くらいだったのが最終日117円くらいになった。何か日本あったのかと思ってたら衆議院解散とかトヨタの過去最大級のリコールとか、森光子が亡くなったりとか色々あったみたいで。円の価値と言う基準/面白い立ち位置で日本の動きを見れたので、それはいい経験だった。

・あと向こうのかっこいい服と出会い、まだ手の付いていないブランドの仕入れとか面白そうだなとちょっと本でも読みたくなったり。いくつになっても興味の幅を広げられ続ける人でありたいなあ、と。

 

さてしばらく日本にいなかったので、見たい映画(『危険なメソッド』、『合衆国最後の日』、『ハハハ』、『映画と恋とウディ・アレン』、『声をかくす人』勿論『Playback』をもう1回)がたまっていて、今日は渋谷へ!という計画だったけれど、ものすごい雨に外に出る気を奪われたので、最近見たけど書くことをさぼっていた映画評について少しずつ書くことにでもしようかなと思います。ではでは。

『ラブ・アゲイン』。人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックスだ。

いまさら言うまでもない、な話ではあるが、最後に、もう1度だけ言っておこう。

人類が生まれて数千年、全く変わらない、そう、「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックスだ」。ザッツオール。それがすべて。そこには文学も、ロックンロールも、当然映画なんてものも必要ない。それが本当に全てなのだ。(こう言うと凄い反感を受けるかもしれない。だが言っておこう。いまピクっと神経を動かし、それは違うだろ、と思った人、すべからく敗者である。負け犬である。そう、僕も含めて。)

兎に角、『CLAZY STUPID LOVE』というイケイケな原題を持つ『ラブ・アゲイン』という映画がサイッコー(ダブルEでカッコE!という言葉を思い出すね)なのは、この映画において、ザ・スミスも、フィッツジェラルドも、ジャック・ケルアックも、タランティーノも、あるいはイーストウッドも登場しないからだ。そうバラ色の人生において、固有名詞なんて不必要。「人生なんて恋と愛と、(そのいづれも伴わない)幾ばくかのセックス」、この信念のもと突き抜けまくったものこそ勝者なのである。

恋と愛、そしてS・E・X(それで隠語にしているつもり!という奥さんのツッコミがこれまた最高)。120分の間、それだけを描き、他に一切ぶれない、ある意味徹底的にラブストーリー。突き抜けているからこそ、ああ、一体「電話」を使ったシーンでここまで美しかったシーンがこの映画史100年において見たことあるだろうか、と叫ばざるにいられない元妻と元夫の一枚の窓越しの会話に僕らは感極まってしまうわけだし、2つの恋と2つの愛が見事に絡まりあうシチュエーションが実現する、庭でのはちゃめちゃ家族パーティが成立してしまうのだ。(キング・オブ・コメディとはこういうものだったのか!映画史なんて知らなくても脚本さえ面白ければいいじゃん!とムカつく笑みを見せる監督の顔が思い浮かぶようだ。ファック!)

悔しいーけど極上エンターテイメント、すなわち映画。あああもう今すぐもう一回見たい!その理由のひとつとして、アメリカ産市川美和子、アナリー・ティンプトンに一目ぼれしてしまったこと、というのは今さら隠す必要もないだろう。


「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」ベン・アフレックの最新作は思わずそう叫びたくなる魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試写会にて、一足先にベン・アフレック新作『アルゴ』を見た。

既にベン・アフレックの恐るべきデビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』や長編第二作『ザ・タウン』を見てしまった僕たちであれば、ベン・アフレックがいまや現代アメリカ映画を代表する映画監督だと十分にわかっているだろうし、彼の新作がいわゆる傑作だったとはいえ、「さすがベン。俺の認めた男だぜ。彼ならこれぐらい撮ってくれると思ってた。」などと言って、終わりに出来たかもしれない。

しかし、彼の新作『アルゴ』は、ベン・アフレックが僕らの想像の範疇を既に超え、「ベン、君こそ世界最強の映画監督だよ。イーストウッドを超えてしまったよ」と言ってしまいたくなるほどの誘惑にかられる、信じられないほどの大傑作だ。いま、誰かが僕に「今年最高に良かった映画を3つあげて」なんて質問をぶつけてこようものなら、大興奮のうちに、「アルゴ!アルゴ!アルゴ!」と答えてしまうだろう。

『アルゴ』が他のアメリカ映画と比べ抜きんでているのは、この映画が『國民の創世』以来、何万本も撮られただろう「ラスト・ミニッツ・レスキュー」の最高峰でありながら、同時に単なる「最後の瞬間の救出」映画に終わらない点だ。

この映画は、「ヒロインが殺されそう」になったときに突如クモにかまれた故にスーパーパワーを得たヒーローが現れ彼女を守ったりもしないし、「銃を突きつけられ、もう絶望だ、助かる道はない」と思ったときに、資金を持つが故テクノロジーの最先端を駆使し愛する街を守ろうとするヒーローが登場して皆を救うこともない。あるいは、暴走列車を止めるために、長年の知識と技術を持った男が、まさに英雄と呼ぶにふさわしい勇敢さを見せるわけでもない。
これまでの「ラスト・ミニッツ・レスキュー」を演出した者たちを「ヒーロー」と呼ぶのであれば、ベン・アフレック演ずるこの物語の無口な主人公は、決してヒーローとは呼ぶべきではないだろう。スーパーパワーを持つわけでもないし、テクノロジーを駆使するわけでもない、何か飛び抜けたものを持っているかと聞かれても答えに窮するだろう。

もっと言うなれば、ベン・アフレックは映画の中で何をするわけでもない。映画を観る前から誰もがその結末を予感している通り、当然、最後にイランから無事脱出に成功するわけだが、しかし、ベン・アフレックは直接的にそれに貢献は何もしていない。正確には「ニセSF映画の撮影をしてるふりをしよう」と思いつき、提案したのは彼だが、それ以外の目立った功績はない。活躍するのは、6人のメンバーひとりひとりだし、むしろ、最初は「ニセ映画の撮影なんて俺は絶対ノラないぞ」と言っていた眼鏡の男が、最後には交渉術で敵を丸めこみ、一番活躍を見せるくらいだ。(イラン語のわからないベン・アフレックはそのときただ黙っているのみだ)

活躍をしないわけだから、当然、彼は目立たない。ニセ映画のスタッフとしても「制作補」?という微妙な位置づけだ。結果、対外的には6人の外交官を救出した功績はカナダにすべて持っていかれ、CIAにおける最高の名誉であるスター勲章を与えられたベン・アフレックは、しかし自分の子供にもそのことを告げることは許されない。それどころか、一度与えられた勲章すら、すぐに取り上げられることにもなってしまうだろう。決して彼は、目立つヒーローになることは許されない。

しかし、だからこそ、この映画は単なる「ラスト・ミニッツ・レスキュー」に収まらない。すなわち、ヒーローがその圧倒的な力で敵をなぎ倒す物語「ではなく」、ある人物に出会った者たちが、こいつを信じて、こいつのために頑張ろうと思い、皆で難関を解決する、そんな「リーダーシップ」の物語なのである。彼のために、みな架空の設定を一生懸命覚え、練習する。ニセ映画なんて絶対に参加しない、と言っていた男が、変化する。彼のために、国務長官、CIA長官、果ては大統領でさえ動くであろう。

我々は、この映画におけるベン・アフレックの姿を見て、もはや当の昔に忘れていた「リーダーシップ」という言葉を一体いつぶりか思い出す。アメリカも日本も、政治や企業、どこを見回してもリーダーシップなんてなくなってしまった、そんな時代を救おうとする、「ラスト・ミニッツ・レスキュー」なのである。

『アルゴ』(ベン・アフレック)は2012年10月26日より全国ロードショー。


■関連記事
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(ベン・アフレック)

ジェイソン・ライトマンの残酷さと、明るさ(『ヤング≒アダルト』『JUNO』『サンキュー・スモーキング』)

たとえば、主人公が、別れを経てから20年近くも経つだろう元彼の思い出に寄り添うための支え、すなわち「バンドをやっていた彼が当時、彼女を思って作った、そして彼女に聴かせた思い出の曲」を、彼女の前で、いまの彼の妻に演奏させてみせるライブシーンの残酷さ。そして、「彼は私と戻りたくて仕方ないんだ」と勘違いを続けて暴走する主人公の、パーティーシーンにおける仕打ち。キスまでしたはずの彼が、彼女に放つ言葉。

『ヤング≒アダルト』を見て感じた、ジェイソン・ライトマンの残酷さと、どうしたって感じてしまう魅力は一体、何なのだろうか。それを探りたくて、『JUNO』『サンキュー・スモーキング』と続けて見返すことになった。(1人の映画監督の過去作品を続けざまに見る、こんなこといつ以来だろうか!)

 

こちらも大傑作と噂の『マイレージ・マイライフ』をまだ見ていないので、そう結論付けることは誤っているかもしれないが、彼の残酷さはどうやら徐々に増しているようだ。

男が単に巨乳でめちゃかわいい(これがケイティ・ホームズか・・・はじめて出演作を見たけど好きすぎる顔。)悪女に騙されて人生崩壊するだけの話である、長編デビュー作『サンキュー・スモーキング』はまだ、ジェイソン・ライトマンの悪意は感じない。たとえ騙されても、彼はひとりで立ち直るし、ケイティ・ホームズを結局、打ち負かしてみせたりもする。あくまでアメリカ映画伝統の「盛り上がって・落ちて・盛り上がる」の「落ち」にあたるティピカルストーリーの枠に収まっている映画に過ぎない。

しかし『JUNO』はなかなかに甘くない。若くして妊娠した主人公のジュノ(エレン・ペイジ!)は、音楽や映画の趣味の合う将来の養父の家に通うだろう。ジュノからすれば、仲の良い理想的な夫婦だった。この夫婦に子供をもらってもらえることがとても安心だった。ジュノの決して高望みではない、ほとんど唯一の希望はしかし突然に壊される、養父の見るに堪えない心移りによって。将来の養父の「だから通ってきているんじゃないのか」の言葉を吐くときのジェイソン・ライトマンの描く狂気は、悪寒すら覚えるだろう。また、将来の子供の母親であるヴァネッサが、JUNOのお腹を触るシーンなんて、『ヤング≒アダルト』から遡って見た僕なんかは、「ああ、母親が触っても一切子供は反応しない(というより、彼がさせない)のではないか」とおびえることにもなるだろう。

 

こんなにも悪意がにじむジェイソン・ライトマンの映画は、しかし、明るい。

決して、ダーレン・アロノフスキーやラース・フォン・トリアーのように、(たとえば『ブラック・スワン』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラスト、)主人公は狂気にひきずられて、戻ってこられなくなるわけではない。彼の映画では、これでもかと不幸な境遇に毎度陥れられる主人公は、しかし絶対に立ち直る。

彼の映画にはほとんど必ず、失意に満ちた主人公がひとり、車に乗り込み、長く続く道を進む、ロングショットがある。まるで、失意のどん底にいる彼ら・彼女らが残酷さと言う試練に飲みこまれないための、儀式のようだ。全体の時間からすれば短いが、しかしとても印象的なそのロングショットは、主人公が「それでも私は生きていくんだ」、という決意をしているかのようだ。

彼の映画は明るい。だからこそ僕は、ジェイソン・ライトマンの映画に魅力を感じてやまないのだろう。

『永遠の僕たち』『ヤング≒アダルト』『ローラーガールズ・ダイアリー』『おとなのけんか』..酔いどれ映画日記

タイトルは見た順に並べた。僕に感じたものを文章にする無限の才能と十分な時間があれば、掲題の4つの映画について個別に記事をこしらえるのだろうが、
残念だからどちらもない(特に才能の無さには驚くほどだ!)ので、まるっとぬるっと1つの記事を更新する。
金曜夜、仕事からの帰宅が深夜1時。相方がつくってくれた混ぜご飯と白ワインを飲みながらブログを更新するまさに花金。

というわけで、酔っ払っている中で4つの映画について。好きな順で言うと、
1位『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)
2位『ヤング≒アダルト』(ジョナサン・ライトマン)
3位『おとなのけんか』(ロマン・ポランスキー)
4位『永遠の僕たち』(ガス・ヴァン・サント)

1位、2位は甲乙つけがたし。この2作品を映画館で見ていなかった自分を呪いたいくらい。僅差で3位。
結構離れて4位。世間的評判はいいが残念ながら僕はのれなかった。
酔っ払いながら縦横無尽に語り尽くします!

 

■『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)

「彼女が出ればその映画は間違いなく面白い。」

そんな言葉が映画好きの間で納得感を持って語られるほど、元祖あげまんのドリューだが、出ても最強、撮っても最強ということを本作で証明した。

そんなドリューと、次のドリュー・バリモアを狙え!エレン・ペイジ(言わずもがな超絶傑作『JUNO』の主演!ああもっと映画出て!)が組めば、どう転んだって普通の映画に終わるわけがない。

ただでさえこんな青春ムービーに弱い僕だが、その中でも格別。
たとえば、各チームが集まって、お菓子や食べ物をぶつけ合うシーンの充実度は一体なんなのか。
それがスクリーンの先で行われているにもかかわらず、ああどうして自分がその場にいないのか、と感情を湧きあがらせる。
僕も、私も、「ローラーゲームやりたい!」と見終わった瞬間誰もが思ってしまうだろう、青春ムービーのお手本のような傑作。

支えるはドリュー・バリモアの映画作家としての才能。ローラーゲームのシーンの演出に酔いしれろ。
凡庸な映画監督には撮りえない、あれだけの登場人物がいながら、ひとりひとりがどう動き、どんなアクションが行われているのか、すべてを映像でわからせる演出力にただただ感嘆するばかりだ!ホイップ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『ヤング≒アダルト』(ジョナサン・ライトマン)

エレン・ペイジといえば大傑作『JUNO』、ジュノといえば、ジョナサン・ライトマン。
先日の『Playback』あと飲みで、『ヤング≒アダルト』が今年ベストという声もちらほらあがる作品だが、これも未見。DVDにて。
冒頭からああこれこそ映画だよねというような粋な演出で、ああ、この感動『ロストイン・トランスレーション』以来!とついぞ叫んでしまいたくなる衝動にかられる。

とかく音の使い方が素晴らしい。
序盤、ほとんどサイレント映画と勘違いするような、音の使わなさ!男の名前が書かれたカセットテープが再生されるまでの15分間、音の記憶が一切ないくらいだ。
当然、物語の中盤のライブシーン(ああ、こんなつまらなそうなライブは初めてだ!最高に監督の悪意に満ちている。後のパーティーも反吐が出る!)
このシーンのために、音を異常なまでに使用したがらない演出だったのね!とまたジョナサン・ライトマンに惚れてしまうわけです僕たちは。最高!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『おとなのけんか』(ロマン・ポランスキー)

もと演劇、ということで、そうだよねーというのがありありと伝わってくる。非常にシニカルな笑いに満ちた傑作だと思います。
この狭い空間だけで、ようやりました、とつい言ってあげたくなるようなそんな感じ。
ポランスキーの映画なんてほとんど好きじゃなかったけど、前作の『ゴーストライター』と本作、2本続けて魅せつけてくれる。
しかも全く違うやり方で。

見終わった後は是非この素晴らしい評を。なるほどね、とつぶやかざるをえん文章だ。
http://www.nobodymag.com/journal/archives/2012/0316_2330.php

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『永遠の僕たち』(ガス・ヴァン・サント)
つまらなかった。
思い返せばガス・ヴァン・サントって『エレファント』以外一本も好きな映画なんてないことに気がついた。(『ミルク』は未見)
しかし、好きな映画監督のひとりだ、なんて思わせる力があるのが凄い。こわい。
唯一、よかったのは、主演のミア・ワシコウスカが僕の昔好きだった後輩に似ていることくらいだった。かわいかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■あわせて最近読んだ本。
阿部和重の『クエーサーと13番目の柱』『無情の世界』どちらもとても面白く読んだ。1時間くらいで読み終わった気がする。
そして佐々木敦がかつて出した映画批評集に、感涙にむせびなく日々だ。蓮實と同等、もしくはそれ以上に心を熱くさせる映画批評集がこの世にあったなんて。佐々木敦見直した。それについては酔っ払ってないときにちゃんと書く。

It was a Beautiful day (朝霧jam日記 1日目)

ブログを書いていてよかったなー、と思うときがある。そんなことを思うのは、今晩のように、過去の日々を思い返したくなる夜ばかりだ。果たして自分自身にとっていいことなのかどうかと考えてしまう。一体何故自分自身の過去を思い出すことを、禁欲的であれ、と責められなければ・責めなければならないのか。映画のように、決してPlaybackが叶わないからだろうか。とにかく、僕にとって過去を思い出すことは、甘美な、嵌りすぎると帰ってこれなくなる誘惑なのである。精いっぱい遊ぶことであれだけ忙しかったのに、それでもせっせと長文を残した、自分と時間を共有していた友人たちを誇らしく思う。
言うまでも無く、僕が祝日の夜を、感慨にふけり過ごすのは、この2日間の朝霧ジャムのせいである。

————————————————————————-
ほとんど深夜、渋谷。ローソンの前で集合といっただけで、僕は早速にも2007つまり大学4年のフジロックを思い出してしまっている。それは僕にとって原体験である。あのときもA以外は誰も知らない友人たちの車に、道端で待ち合わせをした。確か湘南台だろうか、藤沢だったろうか。とにかくそのあたりに、早朝大荷物を背負って向かったものだ。あれから、何度かのフェスは知らない人ばかりと行くことも、道端で待ち合わせることもなかったように思う。

友人のタカシは遅れると連絡来たので、待ち合わせ場所のローソン前で知らない人たちが朝霧っぽい恰好して誰かを待ってたので、あのタカシの友人ですかと声かけをすれば、いえ違いますと返され、それはすみません、という体で顔を赤らめた。ローソンで飲料など購入し、出ようとしたらメンバーは続々と集まっていて、見知った顔と思ったらタイセイとツヤさんで、彼らは一度タカシ宅のホームパーティーで会ったことがあるので、それはそれはと安心する形となった。そのあと遅れてタカシがきて、ユミさんがきて、もうひとりのユウカさんとやらは全然来ずに、そういえば2007もケイちゃんが全然現れなかったことなど思い出していた。30分ほど待てばユウカさんも来て、さて行きますかという形で出発する。

飲まない・運転できる・車持ってる、まさに運転手の鏡であるタイセイにすべてお任せする形でわりと眠っていたら静岡県まで着いて、スーパーで、マッカランやチェアやブルーシート、翌日の朝食の材料など購入し、朝霧へ再度向かう。昼過ぎにはふもとっぱらに着き、なんていい景色なんだふじさんー!と叫び、早速テントなど立て買い込んだビアーなどで、カンパーイ!とやる。その場の会話でOKI DUB AINU BANDは別にいいよね、との合意がなされ、GOMAちゃんに照準あわせ会場へ。

5月の日比谷宇宙の日ROVO祭りではGOMAはとにかく良かった記憶があり、酒とGOMAにやられた僕は代わりにROVOの記憶は一切ないわけだが、しかし今回はそのときほどではなくて、酒が足りなかったのか、それとも事故を潜り抜けたGOMAが観客への感謝に溢れ、その感謝の意味とかに疑念を持ったからなのか、とにかくその「あなたたちのおかげで、いま生きていけます、ありがとう」の言葉に僕は共感できず、GOMAの熱心な信者ではないことを再確認した。GOMAは動きも言葉もどこか教祖的なところがあるので、そうならないことを祈る。教祖になった音楽やる人ほど僕の好きから程遠い人はいない。それでもめいいっぱい踊った。

そんなだから疲れた体に鞭打って向かったMOONステージの鎮座DOPENESS & DOPING BANDはほんとに最高で、見たのは2年前のFESTA de RAMA以来で、あのときから僕は鎮座のシニカルな笑いと適当だけど確実なラップの虜なのだけど、今回もフリースタイルとか大分かっこよくて、PUNPEEも鎮座もそうだけど、フリースタイルほどライブの魅力がつまった瞬間はないなーと思うし、だからHIP HOPはやめられない、と思った記憶がある。定番の「いってんのかいかされてんのか」「やってんのかやらされてんのか」とか楽しい言葉遊びに、鎮座もだいぶ楽しそうに踊るのだから、つられて僕も満面の笑顔で踊ったものだ。

ジントニックなど各種アルコールにまみれ、レインボーステージに帰ったら、スケボーダーには憧れのトミー・ゲレロがやっていたのだけれど、眠すぎて起きたらWILCO JOHNSONになっていて、ゲレロは完全寝過ごした形になり、残念に思いかけたけれど、よく考えたら、憧れはあれど彼の音楽にはまったことなんて一度もないので、そんなに残念でもなかった。それよりも、前回の経験を踏まえられていないというか、朝霧寒いよね、という記憶はなかったため薄着でいったところ寒くて目覚める形になったことのほうが残念だ。起きたらタカシがうまそうなラーメン食ってたため、僕も購入し、ふつうに店で食ってもうまいよね、とふたりで結論づいた。

ドクター・フィールグッドもウィルコ・ジョンソンも僕の人生にはまったく無関係の存在だったので、しかし周囲の皆はわりと好きなようだったので、社交的で場の雰囲気を壊すことを嫌う僕はトイレに行く振りをしてムーンステージに向かうも、CUT CHEMISTは音楽むかつくぐらいぶちぶち切るタイプのDJで30秒くらいで嫌になる結果に終わり、毛布借りて早々にレインボーに戻る。丁度いい具合に、ウィルコ・ジョンソンも終わっていてタカシと飲料を探しに向かう。ところ天国で、天国行きたいですかー?と「勿論さ」と答えるしかない問いを受けたので、天国ビールというものを初めて飲み、これはマリブ+テキーラ+ビールの組み合わせで酒×酒×酒という一切寄りそう気のない飲み物で、しかしマリブの飲み口やわらかく、アルコール度高いココナツジュースのような形でたいそう美味しく、僕とタカシはこれを朝霧のソウルドリンクにしようと喜んだ。

そうこうしてればリー・ペリー登場の合図らしい井上陽水が流れ、みんなで2012フジロックのことを思い出し大合唱し、リー・ペリー・バンドが出てくる。確実に3人くらいは殺してるよね、あの人と黒人の容姿について無責任な発言、そして談笑を行っていると、齢80近いおじいちゃんが現れ大歓声が起こる。2011フジロック同様、今回で見れるの最後かもよ、という囁きが周囲で広がる。リー・ペリーは自分が見世物になっていることをわかりきった動きをしてくれるので、ほんとにエンターテイナーだなあ、と感動をしてみせる。「ガンジャ・フリーダム!」と叫ぶのとかね。

リー・ペリーに興奮して、天国ビールをさらに飲みたくなり、お替りに向かうと、フェス友達のアサミから連絡来てるので合流し、しらふな彼女のうらやましい私生活の話などを聞いて楽しくなる。鉢巻きの人ミクさんや、ベビーフェイス君などと交えてわいわい話せばリー・ペリーも終わりそれではまた明日ーとお別れをし、タイセイらと合流する。キャンプサイトであるふもとっぱらに戻り、タイセイ自慢のキャンプセットにより焚き木をして、火を囲みながらフジロック恒例のタカシの怖い話。もう何度聞いたかわからないその話を聞くと、なぜだかまたフラッシュバック・メモリーズするのだ。2時間くらい焚き火を囲んで、談笑すれば暖かい毛布にくるまれ、快適に眠るだろう。

最近見た映画(『ロック・オブ・エイジズ』『デンジャラス・ラン』…)、読んだ本(『恥辱』『タイタンの妖女』)

■最近見た映画
・『ロック・オブ・エイジズ』(アダム・シャンクマン)
トム・クルーズがロックスターとか間違いなく面白いと思ってたけど、想像通り最高のハピエストムービーだった。
なにより主演のジュリアン・ハフがとにかく凄い。(映画中ずっと、『魔法にかけられて』のエイミー・アダムスかと思ってたのだけど全然違うようで、同じような話の『バーレスク』にも出てた子のよう。)たとえばはじめてのデート、山の上かどこで、彼に見せるくしゅっとした笑顔だとか、彼に別れ雨の中を歩くときの落ちた表情とか、まあほんとこんな表情できる子がいるのか、と驚くばかりで、アダム・シャンクマンの演出力の無さやカッティングの下手さはもう呆れるくらいだけど、それでも彼女のあの表情を捉えられたのだから、100点挙げたい。
そして監督がいかに下手であろうと、この映画の面白さに傷がつくわけではない。歩くだけで女の子を失神させて見せる、トム・クルーズのロックスターぶりは訳わからないけど、最高にかっこよく面白い、ディエゴ・ボニータの色々あるよね人生は物語も秀逸だ。ラスト、『ラブソングができるまで』を彷彿とさせる、幸福感に満ちたライブシーンで涙を流すことを抑えられはしない。

・『デンジャラス・ラン』(ダニエル・エスピノーサ)
映画が始まればすぐに、ダニエル・エスピノーサというほとんど無名の監督が、そこいらの映画監督とは格が違う、優れた映画作家であることに気づくだろう。
圧巻は、セーフハウスに敵が忍び込んできてわーっとやりあうシーンで、この映画作家は、デンゼル・ワシントンを「全く動かさない」なんてことを平気でやってのけてしまう。『デジャヴ』や『アンストッパブル』などを見て、どうしたって最前線で動いちゃう・活躍しちゃう、彼を知ってしまえば、決して短くないアクションシーンにおいて、彼を椅子に座らせたまま、「全く動かさない」なんて選択肢、凡庸な映画監督には思いつきすらしないだろう。
どう考えたってトニスコ好きだろうこの映画作家は、気づけば、敵同士であったはずのデンゼル・ワシントンとライアン・レイノルズを、まるで『アンストッパブル』のデンゼルとクリス・バインのように心を通わさせてみたりもする。
ダニエル・エスピノーサという名前を覚えておこう。アメリカ映画に、またひとり次の作品が楽しみな映画監督があらわれた。

・『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)
DVDにて再見。やはり最高でした。

■最近読んだ本
・『恥辱』(J.M.クッツェー)
クッツェー初読。若い作家で彼より面白い話をかけるはいくらでもいるだろう。しかし彼より美しい文章を書ける人は、この世にほとんど存在しないのではないか。そして、その文章を日本語へと変換させるという意味において、翻訳家という存在をこれまで読んだ本の中で最も意識した。海外小説において、翻訳家は、もうひとりの作家なのだろう、そんなことを考えた。都合、30ページ以上もドッグイアーし、この文章を大切にしようと思った。この小説に出会えてよかった。

・『タイタンの妖女』(カート・ヴォネガット・ジュニア)
ヴォネガットはかつて、高校のときだったろうか、『スローターハウス5』を読んだきりでいまや物語すら思い出せないくらいなのだが、こんなにも面白い話をかける小説家だったのか、と驚いた。まるでアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』を想起させる展開で、たいそう興奮し続けた。早速、『スローターハウス5』を読みなおそうと、本棚を探したが、見つけられなかったので、アマゾンで買った。ついつい『猫のゆりかご』と『国のない男』もつられて買ってしまった。届くのがとても楽しみだ。

『Playback』(三宅唱)

友人でもある彼の映画について、なにかまじめに書くことはむず痒いし、そして、とても緊張する行為だ。

しかし、それでも文章を打ち進めようと思うのは、三宅唱の新作『Playback』が、彼の燦然と輝くフィルモグラフィの中でもやはり最高の傑作だ、と言わざるを得ないからである。

 

この世界に「トニー・スコットの真の後継者だ」と自信を持って言える監督がいるとするならば、やはり三宅唱しかいない。あらためてそう感じた。男2人を並べて、同じフレームに収めること、そしてその「関係」を描くこと、すなわち「演出」という行為において、ほとんどトニスコの映画を見ているような感動を覚えるし、男3人<ハジ/ボン/モンジ>を並べれば(『やくたたず』でその片鱗は十分に見せていたが)世界でも彼の右に出るものはいないのでは、とすら思えてしまう。彼の演出力を前にすれば、白黒だカラーだ(あるいはフィルムだ/デジタルだ)、ということですら重要でなくなるだろう。

三宅唱という監督の映画を、ぼくがはじめてみた『4』や『マイムレッスン』(どうやら6年も前らしい)以降、ほとんど唯一共通して描かれる主題めいたもの、があるとすれば、「遅れてしまった」感覚ではないか、と僕は考えている。映画中に遠藤が言うように「選択の結果」の「やっちまったなー」感あるいは「取り戻せない」感と言い換えてもいいだろう。(一体リア充代表の彼において、どんなトラウマがあって「遅れてしまった」感を描きたがるのか、と聞いてみたくもあるが!)
今作も冒頭から「遅れてしまった」感に満ちたシーンが連続して描かれる。当然映画は引っ越しから始まるわけだが、最初わけもわからず「引っ越し」にサインし、そして段々理解していく、ハジの「遅れてしまった」感といったら、痛快の極みだ。
そしていよいよ本作では、「遅れてしまった」感を取り戻すために、過去へとプレイバックしてすら見せる。その意味で本作は、彼が描きたかったものに対して、最も向き合った映画であるだろうし、故に我々観客は、彼の映画の中でも最も心惹かれるのかもしれない。

また映画中、何度も繰り返される「お前の話」「俺の話」あるいは「俺の話じゃない」というフレーズも印象的だ。なによりも、ロカルノ映画祭で使用されたであろう英語字幕バージョンでは、「your story」「my story」「This is not my story」という言葉群が字幕を踊ったであろうことを想像すれば、それだけで超かっこいいことだし、僕は興奮の極みに到達してしまう(勿論、英語字幕バージョンを見たわけではないので、僕の妄想に過ぎず全然違った場合はご容赦頂きたい)

 

思うところを書いてはみたが、難しいことを言わずとも、アメリカ映画のように、ただかっこよくて、ただ面白い、最高の映画である。日本では彼の名前を知らない映画人は、既にほとんどいなくなったのでは、とすら思うが、いづれ(きっとそこまで時間はたたないだろうが)、アメリカで彼は凄まじい映画を撮るだろうし、世界的に三宅唱の名前は有名になるだろう。僕は6年前からそう言い続けている。だから、いま彼が凄い勢いで駆け上がっていることが嬉しくてしょうがない。

その三宅唱の新作『Playback』は、11月10日からの渋谷での劇場公開する。是非駆けつけてほしい。

http://www.playback-movie.com

 

 

僕は本作を、ぴあフィルムフェスティバル@フィルムセンターで見たのだが、本人も言うように、フィルムセンターで彼の映画が上映されることが幸せでならない。次回は、三宅唱生誕100年、三宅唱死後のレトロスペクティブだろう。笑

そして彼の映画の魔力で集まった久々のメンバー8人でのプレイバックナイトも個人的には触れておきたい。ひさびさにシネフィルと触れて、2時間映画についてしか話さず、かつての興奮を思い出した。最後のその場で言及された映画を、記して、お茶を濁して終わりにしようと思う。いいと言われたものも、ぼろぼろに罵倒されたものも羅列する。(言及されるということが素晴らしい)

『スパイの舌』『やくたたず』『Playback』(以上、三宅唱)、『デジャヴ』『アンストッパブル』(以上、トニー・スコット)、『幸せへのキセキ』『あの頃ペニーレインと』『エリザベスタウン』(以上、キャメロン・クロウ)、『フェイス・オフ』(ジョン・ウー)、『エア・フォースワン』(ウォルフガング・ペーターゼン)、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』『アメリカの影』『こわれゆく女』『ラブ・ストリームス』『フェイシズ』(以上、ジョン・カサヴェテス)、『私の中のあなた』(ニック・カサヴェテス)、『ブロークン・イングリッシュ』(ゾエ・カサヴェテス)、『シルビアのいる街で』『イニス・フリー』(以上、ホセ・ルイス・ゲリン)、『回路』『贖罪』(黒沢清)、『夜よ、こんにちは』(マルコ・ベロッキオ)、『ザ・タウン』『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(以上、ベン・アフレック)『ミッドナイト・イン・パリ』『人生万歳』(以上、ウディ・アレン)、『ゾディアック』『ソーシャル・ネットワーク』『ドラゴン・タトゥーの女』(以上、デヴィッド・フィンチャー)、『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八)、『ダークナイト・ライジング』(クリストファー・ノーラン)、『ヤング≒アダルト』『JUNO』『マイレージ・マイライフ』(以上、ジェイソン・ライトマン)、『ラブ&ドラッグ』(エドワード・ズウィック)、『東京上空いらっしゃいませ』(相米慎二)、『わたしたちの宣戦布告』(ヴェレリー・ドンゼッリ)、『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ)

一番笑ったのは、中学の時何見てた、みたいな話で、ある人が「クロキヨ(黒沢清)」といったとき、俺とFは、「(マルコ・)ベロッキオ」と聞き間違えて、すげー、となった話。